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  • from: クマドンさん

    2020年11月07日 14時47分58秒

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    眠いから、昼寝しよう

    今日は、朝から身体がだるい感じがする。
    昨夜は少しだけ呑み過ぎたのか、今朝は定時に起きられなかった。
    今も、頭は、ぼーっとしている。
    そうしたか身体の日々の変化や現われを、
    ごくごく自然のものだと受け入れている。

    ヨガに行った。
    マスターは、3日の日に4時間を踊りつづた人だった。
    まさに、私はそうしたやりきっている人を目の当たりにできた。
    4時間ずっと見続けていたのは、私ぐらいだったようだ。
    それでも、やっぱり目が離せなかった。
    今、ここで、創りあげられる瞬間を、見逃したくなかったからだ。
    人は、創るものだ。
    その時、確かに「生きている」の実感だと感じた。

    腰が痛む。
    どうしてしまったのか、椅子から立ち上がると電気が走る。
    腰だけは、強いと自信をもっていた私だ。
    しかし、その強いと思っていたことは、脆いものだと改めて分かった。
    思い通りには、何でも行かないものだ。
    だから、それを「どうして」とは思わず、
    「ああ、腰が痛むなぁ」と受け入れる。

    その腰の痛みをこれ以上ひどくしないために、
    腰をかばってじっとしている。
    往復6キロのウォーキングの疲労も感ずる。
    確かに、身体は身体のままで変化を続ける。
    その変化と私の意志とは、かみ合わないものだ。
    以前は、こんな時には、焦りを感じた。無理をした。それでもやった。
    しかし、歳をとるとは、無理を無理だと受け入れられることである。
    どうにもならないことは、どうにもならないことなんだ。
    そんな当たり前のことを、自分自身に言い聞かせている。

    だから、午後から読書して、何もしない。
    本当は、ちょっと昼寝をしたいぐらいだ。
    身体は、眠ることを求めている。
    それを感じつつも、半分ぼーーーっとしながら、これを書く。

    最近、またまたまフランクルの言葉を味わっている。
    彼の言葉は、私をあの病院のベッドの上で覚醒させた。
    本当に寝たきりで、歩くのもそろそろとやっとの身体。
    10本ものドレーンが腹から出ている。
    点滴棒は、歩くとき両手で支えた。
    「私は、もう元の生活には戻れないのではないのか・・・」
    そんな不安と寂しさと孤独の中だった。
    そんな時、出会ったのがこの言葉だった。

    「人生から何かわれわれはまだ期待できるのかが問題なのでなくて、
     むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」

    「われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として
     体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、われわれは
     その問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければなら
     ないのである。」   「夜と霧」 霜山徳爾

    私は、初め、この言葉の意味がよく理解できなかった。
    生きるのは私であり、私が人生に何かを期待することは当たり前だと思ったからだ。
    でも、フランクルは言う。
    「問われているのは、私なんだと」
    「人生は、私がどういきるのかを、いつもいつも期待している」と。
    その言葉の「意味」が、やっとこうして63歳になってみて、
    しみじみと分かるようになった気がする。

    命は限られている。
    私は、いつかは死ななければならない命だ。
    でも、「にもかかわらず生きようとする」ことで、
    私は、私としての生き方を、
    本来の意味あるものとして生きられるのではないだろうか。
    どんなことがあったとしてもだ。
    「にもかかわらずに生きて行く」
    そのことを、命である私は、私自身に期待しているのだとやっと考えられた。

    こうして生きていればいいんだ。
    何をしていなくても、何の業績も名誉もなくても、全くの無名な人でも、
    にもかかわらず生きている、そのことだけでいいんだな。

    癌になったとしても。余命の宣告を受けたとしても。
    どん底の絶望を味わったとしても。何も報われないと感じたとしても。
    とにかく、にもかかわらず生きている。息をしている。ただそれだけ。
    それだけで、充分幸せなのではないのかという問いだったな。

    何があるから幸せでもなく、
    何ができたから幸せでもない。
    何も無いし、何もできない、でも、私は、幸せを感じて生きている。
    生きるとは、そんなたいそうなものでなく、
    この家で、午後から何もすることがなく、
    疲労と睡眠不足とで、眠気の中でぼーーっとしているこの私でも、
    けっこうこれでも幸せではないかと、ふと考えた。

    心はもちようで、どうでも変わるものなんだ。
    だから、今、ここ、自分を受け入れて生きるだけ。
    眠いから、布団に入って、眠ればいいさ。
    ちよっと昼寝をすることにした。

    本日夜7時から、駅前で前の学校の職員と三人での呑み会なんだな。

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