新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020年11月10日 08時34分03秒

    icon

    自己不全感を持って生きるとは

    異星人学会が面白い。
    客観的に、距離を置いて、分析する。
    すると、今まで明らかにされてこなかった事実が分かるような気がした。
    どうも、問題の本質の根は深いようだ。
    それは、やはり「承認欲求」ではないのかの見解だった。

    それは、幼児期の親子関係に遡る。
    まぁ、私たちの研究事例は、母親と次女との関係とでも言えるだろうか。
    幼い時に、どれだけ母親から認められ、大事にされてきたかの違いで、
    その人は、自分でも自覚のないまま、
    心の中に大きな隙間・空っぽのコップを持ち続けているのではないかの「仮説」だ。

    親が大人ではなく、幼く、独善で、一方的で、頑固で、一つの価値観だけを押し付ける。
    または、その母親も自分の母親から愛されず、時には、虐待を受けて来た。
    また、幼くして両親を失い、親の愛を知らずに幼少期を過ごさざるを得なかった。
    また、両親が病弱な長女のことで手いっぱいで、次女はほっておかれて育ったする。

    何だか、親を選ぶわけにはいかないので、
    ただその親から受ける言葉や態度を、みんなそうだと思い、それに従う。
    そんな親から愛されるためには、
    親の思うようないい子で居なくてはならない。
    だから、いつでも親の期待に応えようとする。
    親から褒められようとする。

    親は親で、自分の言った通りに生き、何も口答えも反抗もしない子。
    手のかからないその子をいい子だと思う。
    そう思われれば思われるほど、その親の期待や想いを裏切ることはできない。
    だから、察する。感知する。配慮する。
    それは、怖いからそうするという場合もあるだろうが、
    そうした行動の基底にはやはり「承認欲求」があるのだと思う。

    そうやって一生懸命に、真面目に、親の言うことを聴きながら、生きて来る。
    学校での成績はそこそこ優秀で、大学にもストレートに入る。
    母親の自慢の子は、こうして成長していく。
    身体は確かに、時間と共に成熟し、大人となって行く。
    しかし、心はどうなのだろうか。
    私が心配していることは、これだった。

    ある30代の男性の相談だった。
    「僕は、自分がいません」だった。
    いつも困ったことがあると、父親の判断基準に委ねて生きた。
    父親がどう思うのか。
    父親が機嫌よく、自分のことをちゃんと褒めて、認めてくれるのか。
    そのためには、どの道を行けばよいのか。
    そして、彼は、父親が「行ってほしい」と期待する道だけを選んで生き続けた。

    しかし、自分で考え、自分で悩み苦しみながら、困難を克服する経験が乏しい。
    すると、「出来ないための言い訳」を実に上手く考えられる人となった。
    出来ないのは自分が悪いからではない。
    出来なかったのは、〇〇のせいなんだ。
    だから、出来なくても仕方ないんだ。
    つまり、直面している課題を解決する当事者は自分でありながら、
    その責任を転嫁して、スルーしてしまうことを続けて来たのだった。

    そして、30代になり、家庭を持って、今に至った時、
    自分を見つめて言った言葉が、
    「僕は、自分がいません」だった。

    親の強い支配の中で従順に育てられることでのメリットは確かにあった。
    ある女性の姉は、はちゃめちゃで、いつも母親と喧嘩し対立していた。
    「あんたの言いなりにはなりたくない」と、家を出た。
    すると、それを見ていた次女は、心配になって来る。
    「姉のようにしたら、母親を哀しませる」
    「私は母とは喧嘩したくない」
    「母には、いい子だと思われていたい」
    そこで、消えて行くものは、自分だった。

    自分であることが、母親を哀しませる。
    自分であることは、母親の期待を裏切る。
    それは、私にはできないことだ。
    だから、黙っている。従っていく。反発・反抗はしない。

    さて、そうやって社会人となり、それなりの仕事を任される立場となる。
    また、好きな人と結婚し、家庭をもち、子どもに恵まれる。
    確かに、順風満帆、幸せな日々だ。
    しかし、やっぱり、どうしても、あの心の隙間・空っぽのコップは、
    そのままであることを、彼女は知っている。

    そして、40代・50代。
    その母親は、年老いて介護の生活かも知れない。
    または、もうとっくに亡くなっているのかも知れない。
    つまり、この空っぽに愛情と言う水を注げる人が、
    もう老いて何も分からなかったり、この世にはいなくなっている。
    さてさて、その時は、どうするかなんだな。

    「普通は、そうだ」
    「みんなは、そうしている」
    「それって、常識でしょう」
    と、そんなありもしない価値観を持ちだすことがある。
    「そうか、この人には普通や、みんなや、常識があると思っているんだ」
    しかし、
    「自分は、どう考えるのか」
    そのことが、希薄で、心もとなく、自信がなく、明確にならない。

    つまり、私もそうであるからよく分かるのだが、
    「承認欲求」を持ち、他者からの承認を求めれば求めるほど、
    その承認を得られず、期待外れとなり、寂しく辛い思いとなり、
    承認どころか、自己否定にもつながりかねない、
    辛い状況で生き続けなければならないこととなることもある。

    他者に認めてもらう。
    ありもしない普通に縛り付けられる。
    自分のことを「これでいい」と肯定できない。
    いつも他者や外側の架空の価値観で、認めてもらわないと安心できない。

    そうすれば、そうするほど、空虚な自分となるだろう。
    自己決定ではなく、その人は、いつも他者決定と世の中の価値観だからだ。

    昨夜の異星人学会での気付きは、
    人間の自立にとっては、親に対する反抗はとても大事なことではないのか、
    ということだった。
    親は、子どもが反抗したら、安心すべきなんだな。
    「おっ、やっと自分の道を歩き始めたな」と、頼もしく感ずる。
    「これから、苦しい道程を歩き続けるんだな」と、自分のことを思い出す。
    「できることは、困っていた時、助けることだけだな」と、過干渉を辞める。
    「遠くから信じて見守ることなんだな」と、その親としての立ち位置を確認する。

    反抗する子どもは、親に対する独立宣言だ。
    「私は、自分の好きなことをやって生きて行きます」
    「私は、私の道を探しながら、独りでも生きて行きます」
    その親離れの、親から独立するんだという決意があれば、
    きっと長い長い試練の人生の中で、
    オンリーワンのかけがえのない自分が培われるのだと、
    これが異星人学会の、現在の見解である。

    しかし、大人になってからのこの自己不全感は、なかなか辛いものだった。
    人は、みんな独りぼっちを生きている。
    しかし、その独りを生きられる人とは、
    独りを生きて来た経験をもつ人だった。

    親の価値観に縛られ、親からの承認欲求をもち続け、いい子を演ずる。
    そして、社会に出て、家庭をもっても、
    「普通」「みんな」「常識」に縛られ、独自の生き方ができないままでいる。

    そうやって生きざるを得ない人たちって、
    けっこう多くいるのではないだろうか。

    では、私もそうであるから何とも言えないが、
    親と言えでも人間で、不完全な生き物である。
    理想的な親と言われる人には、会ったためしは私にも無い。
    みんな人間らしい、人間そのもの。

    では、子どもたちは、その親に育てられながら、
    どうやって自立すればよいのか。それが異星人学会の次の課題だな。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件