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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年11月11日 06時50分16秒

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    友には感謝だな

    スマホに替えて、一カ月以上たった。
    あれだけスマホを拒否していた私だったが、
    これにしてから、生活のある面が刷新させられた。
    確かに、これは便利なアイテムだと認識を新たにした。

    布団の中でもパソコンだった。
    私は、起きるとすぐにラジオ深夜便だ。
    そこでいろいろな人の人生の物語を聴く。
    生きることとは、その人の物語を生きることだ。
    そして、私は、私の物語を今日も生きる。
    その時の、助けとなり、励ましとなる言葉が、
    ここにあった。

    つまり、日々を生きるためには、
    人には「言葉」が必要ではないのかの「問い」でもあった。
    私は、確かに、多くの人たちの「言葉」によって救われ、励まされて生きて来た。
    どん底であればあるだけ、
    その言葉は生きる力、立ち上がる力となって、私の心に響いたものだ。

    そんな言葉には、なれないかもしれないが、
    私は、そのラジオを聴いた後に、
    私のFBにその日その日の雑感を書いている。
    それが書き始めると止まらなくなり、
    いつの間にか一時間も書いていることも多くなった。
    本当に多愛の無い話であるが、
    この「親父たちよ」同様に、自分自身の現在地の確認となっている。

    言葉で表すことで、自分のことを理解できる。
    つまり、言葉とすることで、自分が何を考えているのか、
    明確になると思うから、きっと私は書き続けるのだろうとは思っている。

    次に、情報と言うことだ。
    夜中に、突然、哀しい訃報が飛び込んで来た。
    「まさか」の話だった。
    それはFBに詳しく書いたので、ここでは書かない。
    しかし、そうしたこれまでお付き合いがあり、
    それなのに、久しく会っていない人たちの近況や、状況が、
    これを通してよく分かるから、凄いものだといつも感心している。

    北海道のHさんの、自然便りには、いつも新鮮な感動だった。
    また、村上のTさんのFBには、彼の人生が繁栄され、学ぶことが多かった。
    そして、私がリスペクトするHちゃんは、いつも心温まるFBだった。
    みんな直接会うことが出来ない人であり、久しく会っていない人だった。
    しかし、「いいね」だけでも、
    何だか「繋がっているよ」「応援しているよ」と、
    私からその人への気持ちを送り届けられる。
    これは、いいものだと、今は、積極的に活用させてもらっている。

    それから、LINEだ。
    ここに居ながら、どれだけ多くの人と交流できるか。
    私は、午前中、暇な時間があるので、その時、LINEで気持ちを送り届ける。
    今、ここで、読んでもらっているわけではないが、
    そうやって独りで縁側で居ながらにして、
    私は、遠方の友と繋がり、交流ができる。
    すると、嬉しくもなるんだな。
    本当にいろいろな人と、ここで出会いをすることができるからだ。

    村上の山賊会の人たちともそうだった。
    ここを開くと新しい情報が入っていることが多い。
    山に登らなくなった私だが、
    それでも山への想いを募らせてくれるのが、
    この山賊会のLINEのおかげだった。
    また、リーデングのグループLINEでは、
    稽古の予定や情報が、リアルタイムで反映される。
    その感覚が、私には何よりも新鮮な感動でもあった。

    友達リクエストだった。
    私の友達の欄には、私の交友関係の遍歴が遺されている。
    どれだけの人とかかわり、
    どれだけの人から教えられ、
    どれだけの人から助けてもらったことかと、
    それを見ると思わせられる。

    今は、独りで縁側に居る。
    しかし、ある日、あの時、この人たちとは本当にデーブにかかわった。
    共に、汗を流し、何かを夢中になって創造して来た仲間たちだ。
    本当にこれまでの人生で、
    いろいなことを立ち上げ、仲間と共に活動を続けて来られてよかったと思っている。
    つまり、その過去は、変わりようがないからだ。
    その友との絆もそうだった。
    あの時、確かに出来たこの絆は、歳を経ても変わるものではないからだった。

    思い出は、私のことを勇気づけてくれるものだ。
    何だか、あの人、この人と、思い出すたびに、
    「ああ、一緒にやれてよかったなぁ」
    「あの時、立ち上げてよかったなぁ」と、今は、感ずる。
    それはいろいろとあったけれど、
    そのお互いに力を合わせてやり遂げたことは、今も変わることがないからだ。

    思い出の中での友でもいい。
    今は会えない友でもいい。
    何年間も音信普通の友でもいい。

    しかし、私にはこの人たちが居てくれたんだ。
    その確認だけでも、生きて来てよかったと、私は思う。

    人生の物語には、共演する人たちが必要だった。
    その物語には、この人たちが居てくれた。
    一つの山に登ることと同じことだ。
    チームを組んで登ったあの山、この山。
    それは、みんなが居なかったら決してやり遂げられなかったミッションだった。
    ありがたいことに、私にはそんな友が居てくれる。

    そのことは、自分の人生を振り返って、ただただ感謝だった。
    だから、時々、思うことがある。
    「もう、いいかな」と。
    ところが、
    「まぁだだよ」との声がかかる。

    63歳からの物語は、既にスタートしているようだった。
    「自分が後」「自分のことを勘定に入れない」「自分はいらない」
    そんな生き方の中で、今、新たな繋がりが生まれようとしている。
    確かに、ここに「回心」があるような気がしている。
    それまでは、「私も」の人生であった。
    しかし、これからは、「その人が」の人生であるべきようなのだ。

    教会で新たなる友を得た。
    ある役割のかかわりで、これからはその繋がりの友が増える。
    大きなことは、するつもりはない。
    私が、私のできる範囲だけで、人とかかわり、友となる。
    そんなかかわりの中で、どんな出会いがこれからもあるのか。
    そのことが、何だか楽しみにもなっている。

    「エール」での大将の語りには涙だった。
    どんなに辛く、苦しい境遇でも、
    それを支え、励ましてくれる友がいる。
    その友にどれだけ助けられて、今日の私があることか。
    だから、辛くても諦めるな。
    私は、そうやって友によって、今の自分と出会うことができた。
    もし、その友がいなんったら、
    自分はどんな人間になっていたか、分からない。だな。

    それは、私が出会って来た氏先輩や友にも言えることだった。
    私が、今、ここで、こうして私として生きているのは、
    やはり、両親のおかげであり、出会った人たちのおかげ様なんだと、
    このFBの友達欄を見ると、ふと、そのことを感ずる。

    しかし、相手は、私のことを友と思っていてくれるのかは、定かではない。
    それは、それでいいと、私は思っている。
    その友と出会って、助けてもらい、励ましてもらったことは、事実なのだから。

    だから、何年ぶりのご無沙汰であり、失礼であったけれど、
    LINEを通して、久々の通信、交信を今は楽しんでいる。
    返信が無い場合もあるが、めげない、へこまず、まぁいいかだな。
    とにかく、私が相手の人に対して、好きだ。話したい、繋がりたいのメッセージは、
    これからも送り続けようと思っている。

    人は人と繋がって生きたいものだ。
    物語にはやはり登場人物が必要だからだ。
    これからの新たな出会いにも、期待している63歳だった。
    そのためにも、新天地の開拓を続けるつもりだ。

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