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  • from: クマドンさん

    2020年11月17日 07時04分34秒

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    カンポスは、心の故郷・我が大地なり

    昨日も、歩いて往復6キロだった。
    とにかく、工場地帯の暗い道。
    人通りがないから、大声を出しても誰の迷惑にもならない。
    だから、台詞を気持ちを込めての実演だった。
    しかし、面白いなぁと、いつも思う。
    それは、こんな台詞を、日常の生活の中では絶対に言わないからだ。

    途中、カンポスで、給水をする。
    お店に入ると、マスターが「お帰りなさい。お疲れ様」と言ってくれる。
    ありがたいなぁと、いつも感ずる。
    それは、疲れている私の身体と心とを知っていてくれるからだ。
    カウンターの前の背の高い椅子に座る。
    「いつものやつ、お願いします」
    「はいよ」とマスターが朝日山の一升瓶の蓋を開ける。

    コップに一杯酒を注ぐ。
    それを行平鍋で温める。
    丁度いい塩梅なったころ、「お待たせしました」と、差し出される。
    まずは、これをぐびっと呑む。
    不思議なことに、疲れがその瞬間にどこかに消える。
    疲れとは、脳が勝手に造りだす妄想だ。
    その脳を喜ばせる水を給水すれば、
    やっぱり脳は喜び、疲れなんかどこ吹く風となるはずだ。

    次に、私が独り語りを始める。
    ずっと黙ったまま仕事をしている。
    まぁ、愚痴が多くはなるが、仕方ない。
    それだけ、私は、やりたいことやいいたいことを封印して、
    黙ったまま、言われたように仕事をしている。
    勝手なことをしたら、すぐに指導され、告げ口される。
    まぁ、なかなか難しい環境で仕事していることと、自分を時には慰める。

    仕事とは、人間関係なんだといつも思う。
    その関係が良好で、職場での立ち位置があり、その真価を認められていると、
    確かに、気持ちよく仕事ができるからだ。
    しかし、ここでは、私は、私を不自由にしている。
    封印された孫悟空だな。
    それは、それで仕方ないと諦めている。
    だから、何も言わない。言っても無駄なことだから、言わないことにしている。
    そうした職場は、改善されない。
    みんなのためにはならないだろうが、
    みんなもそのことを分かってやっている。言っても無駄だ。

    そのことを聴いてもらえるだけ、すっきりとするものだ。
    話すとは、心の重荷を手離すことでもあるようだ。
    だから、愚痴は言う。弱音は吐く。腹が立ったら怒る。それだけ。
    カウンターとは、そんな私の舞台であった。

    そうなんだな。
    どれだけ、このカウンターと言う舞台に救われたことか。
    亡くなった沼垂山小屋の森田さんの話だった。
    カンポスのマスターも山に登った人だった。
    私は、村上と豊栄で二つの山の会を作った人だった。
    だから、どこかですっきりと分かり合える気がする。
    この感覚は、山に登ったもの同志だけが、味わえるものだった。

    森田さんは、新潟山岳会の中心なる重鎮でもあった。
    だから、私たちのような若い(かっては)山登りの人たちを、
    とにかく可愛がってくれたものだった。
    カウンターを挟んで、よく森田さんと呑んで、語った。
    山の話だけでない。人生そのものの。いかに生きるかの話ばかりだ。
    そして、私と肩を並べて夕方から呑んでいるこの大先輩たちは、
    その怒濤のような人生の荒波をくぐり、生き残った強者ばかりだった。

    本当の強者は、人にはとても優しく、親切だった。
    これから荒波にもまれて、よれよれになるだろうこのクマを、
    とにかくいろいろな物語で鍛えてくれた。
    そして、いつも笑顔で、褒めてくれた。
    それでいいと、言ってくれた。
    とてもとても温かかった。
    私にとっての山小屋のカウンターは、そんな場所でしたの話だった。

    すると気付いた。
    ああ、カンポスのマスターも、そうしているのだなぁと。
    何よりもこの私が、何とも懐かしい気持ちで、ここで酔っぱらっているからだ。
    隣には、何と森田さんのご実家の奥様が営む「山小屋」がある。
    ここでは焼き鳥の販売だけだが、いつもいつも売り切れ必須だった。
    これも、森田さんが導いてくれた縁なのだと、感謝している。
    昨夜は、その山小屋の焼き鳥を買って、我が家で食べた。

    温かいことなんだな。
    優しいことなんだな。
    そして、誰のことも等しく大事にすることなんだな。

    マスターとママと出会って、改めてそのことを味わっている。
    人は、そういう人と出会いたいと願っているものだ。
    このお店の常連さん。
    特に、カウンターに座る人たちは、お二人の温かさを求める人たちが多い。
    独りでランチを食べにくる独り暮らしの人たちは、
    ここでの会話に、ほっとする。
    「いらっしゃい。いつもありがとうございます」
    その声は、何よりものウエルカムの温かさだ。

    森田さんの亡くなった後、追悼のための本を上梓した。
    その時の、編集委員の一人に私は選ばれた。
    そして、巻頭に、「沼垂難民の歌」という詩を載せてもらった。
    「ここは、みんなの心の故郷、大地であった」だな。
    本当は、みんな独りだ。
    だから、心の故郷、大地を求めているんだな。

    でも、そう言うことは、自分が独りぼっちだと言っているようで、
    何だか恥ずかしい。
    「俺、友達、少ないんだよね」と、言える男が大好きだ。
    「俺も、そうだ」と、その男の友達になりたくなってしまう私だ。
    「俺は、独りだ」と、言えればいいんだ。
    本当は、独りでない人は、誰もいないのだから。
    みんな独りだ。これは、確かなことと合点する。

    だから、カウンターが欲しいんだな。
    行きつけの気心の知れたお店が欲しい。
    そして、そのお店のマスターや、ママ、が在り難い。
    実は、N小に赴任したのは、「山小屋」があるからだった。
    そうなんだよな。
    あの7年間、毎晩のように「山小屋」に通った。
    そのおかげで、どれだけの縁ができ、
    その縁でどれだけ育ててもらったことか分からない。

    実は、今の職場に決めたのは、
    直ぐ近くに「カンポス」があるからだった。
    ここがきっと今の私にとっての「山小屋」になる。
    不思議なことに、本当に隣に焼き鳥「山小屋」の店があるんだ。
    十何年も前だろう。
    初めて蒲水先生に連れられてこの店に来たのは。
    まさか、この歳になって、新たな心の故郷、大地に、
    そのお店がなるとは・・・。これもやっぱり森田さんの導きと信じている。

    ここに「カンポス」あり。
    今週で、この仕事をリタイアする。
    しかし、カンポス詣ではこれからも続く。
    往復6キロ、歩くにはちょうどいい距離だ。
    それに、今度は「金の湯」にも行ってみようと思っている。

    行きつけのお店と、温かなマスターとママとの出会い。
    これも人生冥利に尽きる話だ。

    2月までは、酔っぱらって台詞をがなっている、私は続く。
    それも、また、よしかな。

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