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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年11月19日 06時48分52秒

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    幾つになってもやりたいことは

    親父たちよが、短くなった。
    それは、寝起きに1時間、スマホのFBに書き込みをしているからだ。
    そうやってみて分かったことがある。
    それは、私は、こうして考えて文章を書くことが好きだと言うことだ。
    それは、確かに読んでくれている人は、数人だ。
    それも、その日に寄っての大きな変動だ。
    しかし、そのことのために私は、書かない。
    この親父たちよもそうだった。

    では、何で書いているのか。
    それは、書きたいから書く。それだけのことだ。
    しかし、ここに書き、FBに書くことで、
    その言葉は、公開される。
    その言葉を少なくとも読んでくれる人がいる。
    もし、私の物語のどこかに共感する部分があったり、
    ほっと救われる部分があれば、それはそれで在り難いことだと思っている。

    人は、言葉を求めている。
    それも、慰められる言葉。共感できる言葉。励まされる言葉等だ。
    その言葉と出会うと「私だけでないんだな」と、ふと、感ずる。
    「そうか、そうなんだよな」と、自分でもそう考えようと思う。
    また、「彼がそんな状況でも頑張っているなら、この私も・・・」と、鼓舞できる。
    それは、他者の生き様を通した真摯な言葉を聴くからだ。

    「ガイロク」の私は、ファンである。
    本当に名も無い人たちの人生の物語だ。
    その人だけのその人の物語に、私はよく涙する。
    分かるから涙するのか。哀しみを共有するから涙するのか。
    とにかく、この涙が、私にとっては優しさの顕れだと私は思っている。
    涙が溢れた時、何かが目覚める。
    私の中の無意識のままに仕舞われていた人としての深い何かが、
    「ここにいるよ」と、姿を顕す。
    それが、感動だと、私は思う。

    そんな感動の物語は、ここには無いが、
    何だか、私は、書く人としてここに生きているような気がする。
    何を書こうかと考えてから書くことは、少なかった。
    とにかく、書きだす。
    すると、思考のスイッチが入り、言葉がどこからか湧き出してくる。
    自動執筆マシーンではないが、
    書き進むことが快感となる。
    そんな喜びを感じたくて、これを書いているのかもしれないな。

    たった今、ものすごい朝焼けだった。
    空一面の雲の襞に朝焼けの光が輝いた。
    今は、もうその色は無い。
    たった数分の出来事だった。
    この朝焼けを見た人も、少ないと思う。ほんの瞬間の朝焼けだ。
    私は、スマホで写真を撮った。記録した。
    しかし、もう、今は、その写真は獲れない。
    いつものような穏やかな朝、曇り空。

    書くと言うことも、これと同じだと私は思う。
    姿形なら、写真でとらえられる。
    その最も美しい姿や色を、そこに記録できる。
    実物そのものの感動とは微妙に違うが、それはできる。
    しかし、目に見えないものは、どうやって記録するのか。
    それが、言葉の役割なのだと私は考える。

    心をどう顕すか。
    考えをどう顕すか。
    感情をどう顕すか。
    愛するをどう顕すか。

    言葉で顕すことで、それは共有される。
    相手に伝わる。
    相手も目に見えないそれを理解できる。
    言葉によって分かち合えることがある。

    だから、私は、書き続けているのかもしれないなぁと、今朝は思った。
    朝だけで、2つの長文だ。
    でも、書かないとすっきりとしない。気持ちよくない。
    これって、ヨガのように心と気持ちのトレーニングなのではないかだな。

    私は、身体が全く動かなかった時、考えることは止めなかった。
    逆かな、身体が動かない分、考えることが促進された。
    その時、聖書の言葉や、池田晶子・若松英輔の言葉が沁みた。
    その状況で書かれた真実の言葉は、その状況に陥った人には必ず伝わる。
    ただし、その言葉と邂逅できればだ。
    この朝焼けの美しさと同じだと思う。

    人生とは、その先人が遺した言葉の意味を味わうための旅である。
    今、こんなことにやっと気付いた。
    私は、私の体験を通し、実感を通さない限り、
    その言葉の意味を我が事として理解できない。
    創造と実感では、全く違うからだった。
    実感・体感したものだけが、私には真実だ。
    その真実がこれだと伝えられるのは、
    その体験・実感を、こうして言葉に顕すからだ。

    言葉は、普遍なんだ。
    ただし、その言葉が普遍であるならばだな。
    そして、書き続けると言うことは、
    その普遍なる真実を深く深く味わうことであると言える。
    私は、書くことで、分かるからだ。

    これからも、書き続けたい。
    それは、自分自身の魂の成長のためである。
    これも、私の死ぬまでの挑戦の1つとなっている。

    さてさて、昨日、ある合唱団の新人オーディションだった。
    コンサート会場で一流のオケとソリストと一緒に歌う合唱団だ。
    そこで要求される技術の高さは、想像以上だとやってみて分かった。
    求めているものが、全く違うスキルなんだ。
    ピアノを弾きながら課題を出す先生に従い、
    とにかく音を聴き、音程を正しく、響きのある歌声で歌うことを専念した。
    私の背後には、5名の審査員の先生方だった。
    「これが、オーデションなんだな」の緊張感と感動だった。

    こうして、後は、結果を待つばかりだ。
    「リーデング」で、ギリシャ悲劇「メディア」のレアソンの台詞の稽古。
    来年の5月には、東区ボーイズでの合唱のコンサート。
    そして、合格すれば、モーッアルトの「レクイエム」をりゅうとで歌える。
    妻が、呆れるばかりなのもよく分かる。
    本日夜は「太極拳」の稽古がある・
    土曜日の午前には「ヨガ」のレッスンだ。

    日々新たなり。
    それは、こうして挑戦する気持ちを持ち続けるからできることだ。

    書くこと。何事にも挑戦すること。
    この2つのことは、生涯、幾つになってもやろうと思っている。

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