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  • from: クマドンさん

    2020年11月23日 16時40分07秒

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    役になる。

    さてさて、Sさんと、久しぶりの電話だった。

    午前中は、2時間のリーデングの稽古だった。
    まさに、ここで禅問答のような苦境に立たせられている私だった。
    台詞を言う。しかし、その台詞の言い方ではないと言われる。
    こう言うのだと教えられる。
    それを真似る。自分のものにしようとする。

    すると、感情が入り過ぎる。
    もっと言葉そのものになる。すると次の言葉が浮かぶはず。
    クマさんは、自分でハンドルを曲げて事故を起こしている車だ。
    もっと車の走るままに任せたらいい。

    また、出て来た。
    どうしてそこで、自分がでるの。
    言葉を言うのではなく、浮かんで来るのを待つ。
    ゆっくりでいい。

    自分が出たら、駄目だと言われ、
    それでも、やはり感情があると言われ、その想いを顕せと言われる。
    本当に、皆目見当がつかない苦境に立たされた時、
    「えい、やっ。とにかく、やっちまおう」と、開き直った。
    そしたら、台詞が生き始め、動き始めた。
    そして、言葉を待ってから、次の言葉を言っている内に、
    その言葉の流れに、任せられ、気持ちよくなっている私だった。

    そしたら、ジャイアント馬場の言葉と出会った。
    「無理をしたり、作り事をしたりしたら、それはそれだけの世界だ」
    この言葉は、まるで演出の笹部さんの言葉ではないのか。
    みんな道は、通じるものだと、考えさせられた。

    自然に任せる。
    今は、そうやって生きることにしている。
    二日間の家族四人の旅行だった。
    川崎から来た次男とは、このご時世だから、半年ぶりだった。
    何だか懐かしさすら感じられた。
    彼も既に25歳だ。
    それなりに東京での仕事を頑張って勤めている。
    何よりも、独り暮らしで金が無い。
    そんな生活によく耐えて生きている。
    それでけでも、リスペクトだ。

    まぁ、私は、父としてはなかなか認められていないことを知っている。
    いろいろとあったことで、そんな立場や役割だった。
    そこで、このリーデングの体験だった。
    私は、何だか無理に、父親になることはないのではないかと、
    ふと、考えた。
    居ても居なくてもいい父親は、居てもいいのではないかと、
    10年以上前に私は、そんな父親であることを宣言した。

    そして、今、思い至ったことは、そのことだった。
    「居ても居なくてもいい父親」の役をきっと私は与えられているのだという自覚だ。
    そうしたら、気が楽になった。
    私が居なくても家族なんだ。
    そして、兄弟はとても仲が良いし、妻ともよく話をしている。
    やっとLINEの仲間入りをさせてもらったが、
    私の発信した文書は、なかなか既読にはならなかった。
    それで、いい、と、そう思ったら、楽になった。

    そうなんだ、あの笹部さんではないが、
    この役に、自分はいらないのだ。
    自分が父親となるのではなく、
    父親としての役を、それなりに演じていることで、
    充分ではないかと言うことだ。
    私が、濃い父親であることを、家族の誰もが期待していない。
    「俺が」と言った途端、みんなクモの子を散らす。
    「またかぁ」と、不穏な空気感に変わる。

    だから、「私は、いらない」と、心に決める。
    ここに、こうして、のほほんと居るだけでいい。
    話しかけることも、気を遣うことも、余計なことをすることも無い。
    既に「無職」の父親である。
    みんなのおかげで生かされているこの身だ。
    だから、何も言わずに、そのままここに居るだけでいい。
    すると、妻も長男も、安定する。安心する。

    私が、ちゃんとその居なくてもいい父親を演じられると、
    家族みんな気持ちよく暮らせる。
    静かな平安な水面を保たれる。
    私が、何か仕出すと、言い出すと、その水面にさざ波が立つ。
    明鏡止水とは、全くいかない。
    だから、私は、黙って、ここに息をしていれば、それでいい。

    だから、力んで、「父親」には、ならない。
    古堅にかかわることばかりをしてきた私。
    今更ばかりに、父親だと、威張るな、愚か者だな。
    ということで、何だか、一段も二段も降りている。
    これからも、どんどん降りて行くつもりでもある。
    「もう、いいのだ」と、私は、思う。

    そろそろ、樹木葬の墓地を契約しないとと、思われる。
    そんなに長く、生きようとは、思わなくなった。
    切に願って、やりたいことも、行きたいところも、ないようだ。
    そう言えば、こだわりが少なくなっていることに気付く。
    文字通り「どうでもいい」なんだな。
    そうやって私が生きていると、妻も子どもたちも、安心・安全。
    私も、妻や子どもたちについては、とやかく口出しはしない。
    その選択や決定を尊重している。
    「それでいい」と、思う。

    そんな役を演じられるようになって、
    少しずつ楽に生きられるようになって来た。
    老いることは仕方ないことだ。
    身体の衰えも自然の為すがままである。
    だから、今、ここを、味わうばかり。
    楽しいことは、続けよう。

    合唱団のオーデションに合格した。
    まさか、合格するとは想わず、テストのつもりでオーデションを受けただけ。
    こうして現実に合格すると、大変なこととなってしまった。
    実は、リーデングの発表会が2月末。
    合唱は3月21日・そのオーデションが1月27日。
    つまり、その両方の稽古の為に、過密なスケジュールが組まれると言うことだ。
    これは、気が遠くなる事実なんだな。

    この両方も、無理なく、作り事でなく、仕上げねばならない。
    指導者は、両方ともプロフェショナルだ。
    妥協は無い。高い技術と仕上がりを求められる。
    その息に達していなければ、舞台には立てないのだった。
    そんなことを選らんでしまったのも、私なんだな。

    とにかく、私には、役が与えられた。
    家庭では夫と父親としての役。
    リーデングでは、イアソンとしての役。
    合唱では、バスで「レクイエム」を暗譜して歌う役だ。
    その役をこなす。
    その役にはまる。
    その役になる。

    その時、ここにもう一人の私をおいて、
    それは、それなりに楽しんで行こうとも、思っている。
    63歳の新たなる挑戦だった。
    新しい自分への変わり目になると、
    こうして向こうから大役がやってくるものだった。
    とにかく、力まず、自然に、あるがままに、それをこなして行きたいものだ。

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