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from: クマドンさん
2020/12/17 07:24:06
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身体と共に気持ちよく
身体のことをよく考える。
というか、身体で何かを考えているのかもしれない。
頭で考えることをやめようと思ってから、
身体で考えることに集中するようになった。
それは、どういうことかと言うと、
つまり、実感をもって考えるということだった。
例えば、イアソンの台詞だ。
「ああしよう。こうしよう」
「この役は、こんなやくだ。だったら、こうだ」ではないということだ。
まず、この台詞がある。
その台詞はイアソンの気持ちだ。
それを考えずに、言い切る。
感情や余計なものを挟まずに、ただ言い切る。
その時、はっと気付くものがあった。
「ああ、そうだったのか」と、改めて感じられることが多い。
だから、「はい、クマさんだよ」と笹部先生に言われて、前に出る。
後は、やるだけ、やりながら感じたままに、語るだけ。
それって、とても楽なことだと、今回、学んだ。
合唱の「レクイエム」もそうだった。
とにかく、期間はたった一カ月。
いつもなら半年かけて仕上げる曲を、
合唱団としては3回目で在り、このコロナ禍の中で、
勇気をもって始められたプロジェクトである。
参加する合唱団の人たちも、指導者もスタッフも、
みんな必死で何とかやり遂げようと努力している。
私は、こんな立場であるので、日中はたっぷりと時間が与えられている。
その時間を使って、この「レクイエム」の難曲に挑んでいる。
全く歌ったことの無いラテン語の歌である。
出来るわけがないと、自分でも思っている。
しかし、合格した。だから、チャンスは与えられたのだ。
では、どうやって覚えるか。
これも、ゃっぱり身体だった。
とにかく、音を身体に沁みこませる。
歌えなくてもいい。音を正しく出せればいい。
そのためには、とにかく繰り返し、繰り返しの練習しかなかった。
笹部先生が、よく言うことだ。
「言葉って、身体から出るものですよね」
「台詞を読もうとするのではなく、言葉が身体から自然に出るようにする」
つまり、考えるな。勝手に役を造るな。細工をするな。
では、どうしたらよいのか。
それは、言葉を全部、身体に入れる。沁みこませる。身体とする。
そこまで練り込むと、確かに、言葉は、自然に現われる。
「感情を入れないで」「芝居をしないで」と、よく指摘される。
「言葉をただ読めばいいの」しかし、それがとても難しい。
昨日も、晴れ間をみて、往復6キロを歩いてカンポスのサービスランチだった。
その時、私は、ずっとずっと台詞を覚える。
研修を重ねて二カ月たった。
すると、変わったことに私も気付いた。
言葉が、すっと出て来るのだ。
次は、なんだったかと、考えずとも、
自然に、力を抜いて、その気になってやっていると、
すーっと、言葉が現われて来た。
このことなのかと、やっと分かった気がしてきた。
歌も同じなんだ。
「はい、ここからお願いします」と、途中から歌うことが多い。
その指導者の指摘に合わせて、さっと楽譜を見て、そこから歌いだせる。
ここまでこの曲が身体に沁みこんでいないと、
やっぱり歌えることにはならないのだった。
たどたどしく、まだ音を追っかけ、途中で見失うような状態だ。
それは、身体で歌うことには、ほど遠い状態だった。
台詞と歌との身体への入り方を比べると、
その違いは、よく感じられる。
ここまで、何事も来なくてはならないのだった。
つまり、出来るとは、身体が無意識でも自然に出来る状態のことを言うのだ。
そのことが、身体に練り込まれて、一体となっている。
そんな時、考えることは必要なかった。
ただ、無意識にやればいい。
何も考えず、真似をすればいい。言われたままにやればいい。
そして、そのプロセスをしっかりと観察し、感じていればそれでいい。
身体に任せる。身体に委ねる。身体の声を聴く。
いつの間にかの逆転が、私の身体で行われていた。
そのことは、とてもとても身体には気持ちよく、新鮮なことだった。
身体が歓んでいることがよく分かる。
だから、自分から進んで練習を続ける。
出来ないことを、少しでも出来るように、励んでいる。
身体と共に生きるとは、こういう気持ちよさのことなんだな。-
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