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  • from: クマドンさん

    2020年12月21日 07時29分01秒

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    身体が病んでも、心は病まない

    どか雪の先週末だった。
    その雪の量には、雪国の湯沢の人も驚いていた。
    こんなこともあるんだな。
    いつも私たちは、こんなことに会って、初めて目を覚ます。
    「まさか」しか、本当はないのではないか。
    そして、いくら想定していても、自然はその想定の外にある。

    大震災がまさにそれだ。
    突然の大地震に大津波。
    ついさっきまでここに居た人たちが、消えて亡くなる。
    そのことは、いつも私たちの当たり前。
    今は、ただ、まだ来ていないだけ。
    その日がいつなのかは、誰も知らない。
    しかし、「必ず、やって来る」と、思っていた方がいい。
    それは、絶対に、いつか、来るのだからだ。

    また、病もそうだ。
    私の場合は胆石の摘出のための簡単な内視鏡手術の失敗。
    そこから地獄に真っ逆さまに落とされた。
    しかし、ここまで身体は、回復するみとができている。
    それは、とてもありがたいことだった。

    しかし、突然、自分が難病に罹ることもある。
    どうして私が・・・と思ったところで、その病には変わりなかった。
    ALSでは、日に日に筋肉が萎縮し、衰え、
    寝たきりとなり、身体の手足が動かせなくなり、
    目だけでコンタクトをとる生活になってしまう。
    最期は呼吸が出来ずに、心臓もその機能を果たせず、止まってしまう。
    その進行を、止めることは今の医学では無理だった。

    だから、もし、そうなったら、どうするか。
    そんな想定も、この健康な内には、少しはしておくべきなのだと考えている。
    癌は四人に一人の病となっている。
    早期発見なら、生存率が伸びているが、
    いつもいつも再発の危険性の中を不安に生きていることが現実だと思う。
    余命宣告を受けたらどうするだろう。
    来年の夏までは、生きられません。
    そう言われて、この冬を私は、どんな気持ちで過ごすことか。

    つまり、当たり前の生活の中で、
    この当たり前、いつか当たり前でなくなってしまうかも知れない。
    そんな、そうではない生活と隣り合わせで生活していることを、
    私は、忘れてはならないのではないかと、今は、思う。

    だから、今日一日だけの感謝なんだ。
    目が覚めた。今日も生きている。身体が動く。昨日と同じ今日である。
    そんな当たり前のことを、当たり前であると、思わない。
    それを在り難いものと、感じ、心から感謝する。
    感謝するとき、きっと感謝する相手のことを感ずると思う。
    感謝しない人には、この相手は存在していない。
    いや、ちゃんと日々、守ってくれているのだが、
    そのことに、気付かないで生きている。
    気付かなくても、その存在は、何も変わらない。
    回心すけば、ずっと傍らに共に生きていてくれたことを悟る。

    P病の彼が居る。
    彼は、2年前に?診断を受けた。
    しかし、彼は、身体からの声を聴かない。
    いや、そうした感性がなければ、この声は聴こえない。
    だから、とにかく彼の身体とこれからの人生を思って、
    私とSさんは、彼にアドバイスした。
    しかし、彼は、その言葉を受け入れなかった。
    自分は、まだやれる。大丈夫だと思っていた。

    しかし、身体は、意志とは意識とは、全く違う動きをするものだ。
    それは、頭とは全く無関係に生きる生命体である。
    自然なんだ。
    そのことを、彼は、気付かずに仕事を続けた。
    すると、徐々に弱って来た身体が、劇的な変化を見せた。
    しかし、小さな兆候は必ずあったはずだ。
    突然ではない。徐々にゆっくりだ。
    その途中の警告の声を彼は、聴かない、聴こえない、
    だから、無視することになってしまった。

    私は、人が生きて行くとき、この身体の声を聴く感性が大事だと、
    今は、そう思って生きている。
    頭でなんか余計なことは考えないことにした。
    今まで、どれだけ、この頭が勝手に造りだす嘘や妄想に騙されたことか。
    頭は確かに知恵があるが、時には、自らの命を弱める悪魔でもある。
    そのことを知ってから、頭の優先順位をずっとずっと後にした。
    しかし、彼は、全く頭の人だった。
    考えたように、なると信じている。
    しかし、人は、こうやって頭に騙され、ひどい目に合わされる。

    彼はこの時節に東京の大病院にセカンドオピニオンに行くそうだ。
    感染者が蔓延している東京に行く。
    帰って来たら2週間のホテル住まい。
    職場には20日間き休むことを許された。
    さてさて、想定がどうしてできないのかの「問い」だった。

    もし、彼が感染したら、どうなるだろう。
    ここまで弱った身体は、きっと重篤な状態に陥るのでないだろうか。
    身体が不自由なのに、2週間食事もつかないホテル暮らしだ。
    感染の危険を回避するために、自宅にも帰られない。
    車で外には出られるが、それも濃厚接触者を増やすだけだ。
    彼の頭には、自分は感染しないと、決定されている。
    しかし、いつも出来事は、想定外なんだ。
    そんなに自分に都合のよいように物事は進まない。
    「まさか」が、当たり前。
    でも、頭の人は、自分の思った通り、それをやる。

    いくらリスクを説明して、止めても無駄だった。
    しかし、それほどに彼の身体は逼迫した状態に至っているのだとも思う。
    だから、やむにやまれずの東京行きの決断だ。
    今は、何事も無いことを祈るだけだ。
    しかし、彼の身体は、この決断をどう思っているだろうか。
    彼には、その声が聴こえないので、そんなことは想像すらできないことだ。
    だが、きっと身体は、自らの命を少しでも延ばすために、
    今、この朝も、彼はきっと叫んでいると、私には感じられる。
    その必死な身体の叫びを、自らの身体の悲鳴を、彼は無視する。

    私は、今は身体の声を最優先にして生活している。
    だから、何をするにも身体に訊いている。
    そして、身体が気持ちよいと感ずることだけをやることにしている。
    身体が気持ちよく生きてくれると言うことは、
    今、ここ、自分は、健康であるということだった。

    しかし、例え、難病であろうと、癌であろうとも、
    今、ここ、自分の身体にとって、気持ちよい状態は必ずあるはずだ。
    その気持ちよさを、身体のためには最優先する。
    もし、私がそうなったら、このことは忘れまいと心に決めている。
    私は、長期間天井だけを見つめる寝たきりの状態になったことがある。
    そ時、心まで病んでは駄目だと、自分に言い聞かせた。
    とにかく、少しでも痛みを和らげ、身体を楽にする。
    すると、気持ちまですーっと落ち着く。しっかり眠れる。休んでいられる。

    彼は、身体の痛み・痺れ・不全感をひどく感ずる時間帯があるそうだ。
    ならば、尚更なんだ。
    その時は、休む時。動かない時。癒す時。
    なのに、彼は頭で考え、その身体を叱りつけ、酷使する。
    これでは、身体が彼のことを諦めるのも仕方ないと、私は残念に思う。

    身体は病んでも、心は病まない。
    そのためにどうやって日々を生活したらよいのか、
    そのことを考えるために、この頭はあるのではないだろうか。

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