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  • from: クマドンさん

    2020年12月25日 07時20分03秒

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    P病の彼のこと

    今週も、夜が忙しい一週間だった。
    満足に夕食を妻と食べられたのは、火曜日だけ。
    これでは、妻も呆れてしまうのは仕方ないことだった。
    どうしてもこうなってしまう。
    土日も予定を入れているために、自宅での夕食はできなかった。
    つまり、一週間で自宅で夕食を食べられるのが、一日だけということになる。
    退職してから、こうやって、仕事を休んでいてから、
    どういうわけか、夜の予定が忙しくなったことに、
    私自身、困惑している状態だ。

    最近、昼間や夕方になると、いつのまにか睡魔に襲われ、
    うとうととすることが多くなった。
    それは、身体から来る休養・睡眠欲求のようである。
    昼間は、その分何もしないで、自宅待機をして自粛している。
    これで、昼も予定を入れたら、私の身体が壊れてしまうからだった。

    身体のことを最優先にして生活している。
    それは、私のこれまでの数多の失敗から学んだことでもあった。
    身体は、した通りに反応する。
    負荷をかけ過ぎ、間違ったことをやれば、
    そのまま、身体には症状が現われ、異常をきたす。
    生物体としての身体については、花や樹木たちに学んだことの応用だった。
    だから、この過密スケジュールを、危惧している私だった。

    そう言えば、昨年のクリスマスは、市民病院の個室だった。
    突然の腹痛と発熱で救急車で運ばれた。
    その日、北区の歌の祭典のコンサート当日だった。
    本当に何とも情けない男であった。
    妻は、ずっとずっと私のことを呆れて溜息をついている。
    「どうして、こんなことばかりなんだろう」と、情けなく思っている。
    私だってやりたくてやっているわけではない。
    あの自転車事故でも、そうだった。
    「どうして、自分から電柱にぶつかって行くわけ」だな。

    こんなことばかり繰り返している私だ。
    確かに、10カ月に2回の救急車は多いと思う。
    それでけ、無駄な出費の医療費もかかっている。
    あのGO TOのキャンセル料と同じことだ。
    やらなければ、使わなくてよかったお金だ。
    まぁ、こんなことばかりだから、きっと妻は呆れて、情けなく思うばかりだ。

    P病のAさんが、セカンドオピニオンのために東京に一昨日出かけた。
    ある大学病院が、この病の治療では日本一と言われてらしい。
    彼は、発症してから3年はたっただろうか。
    しかし、本当の発症は、そのずっと前だったと思っている。
    その身体から発する小さな兆候に気付かなかったからだった。

    ある頃から、どうも自分の身体が違っていることに気付き始めた。
    腰が曲がる。すり足になる。身体の関節が強張ることがある。
    しかし、彼は現役の仕事を休むことも考えず、
    何とかなるだろうと、医者にも診察してもらうことなく、生活を続けた。

    すると、どうも身体の動きがおかしいと自覚が深まって来た。
    疲れたのではない。どこかで怪我をしたのではない。
    では、どうしてこんなに自分の身体が思う様ように動かいのだろう。
    朝、立ち上がり歩くまでに、どうしてこんなに時間がかかるのだろう。
    「何か、変だ」しかし、熱が出るわけでもなく、腹が痛いわけでもない。
    医者に診察してもらう理由が、彼にはまだなかった。
    そんな状態のまま、時間だけが過ぎて行った。

    ここで、考えなければならないことは、
    頭での自覚と認識と、本来の自然な身体の変化とは、
    全くべつものであるという事実だった。
    「こんなぐらい、何とかなるさ」
    「こんなわけのわからないことで、仕事は休めない」
    「まぁ、時間がたてばよくなるだろう」と、人は、想いやすいもののようだ。
    それは、自分のことを悪くは思いたがらないからだと思う。
    「大丈夫」は、こんな時は、「全く危険な認識」であった。

    この夏から秋にかけて、急速に症状が悪化して来た。
    昨年の今頃、難なくできていたことが、今は、とても難儀となった。
    身体が強張っているために、自宅から車まで歩くことが難儀になった。
    仕事中も休憩時間は、身体を横にして、休ませるばかりだ。
    「とうして、俺が・・・」と考えても、身体の症状は進んで行くだけ。
    若いから、進行が速いと言うことも考えられる。
    とにかく、暗澹たる、欝々たるその気持ちは、晴れない。
    強い薬を処方してもらい飲んでいても、一向に良好な変化はなかった。
    「これから、私は、どうなってしまうのか・・・」

    そんな崖っぷちに、彼は、今、立たせられている。
    「このままでは、駄目だ。セカンドオピニオンを受けよう」
    彼は、決心すると、行動はとても早い男だった。
    「東京のA病院で診察してもらう」
    彼は、ここに自分の病についての救いを求めた。
    その切実な気持ちは、私には痛いほどよく分かる。
    しかし、ここに、大きな問題があった。
    「コロナの感染」だった。
    今、東京は一日の感染者数が900名近くになっている。
    その最中に、彼は跳び込んで行くのだと言う。

    周囲の関係する人たちは、反対し、説得もした。
    しかし、彼の意志は固く、がんとしてその意見をはねのけた。
    「それでは、二週間自宅に帰らないでください」と、妻の宣告だった。
    彼女は福祉施設の管理職として勤務している。
    彼女の感染は、多くの人の感染につながる危険がある。
    その言葉は、最もなことだと、彼も思った。
    でも、それでも、彼は、東京に行った。
    そして、一昨日から安ホテルでの生活が始まった。

    バス・トイレは部屋の外。
    三食食事はつかない。
    着替えや洗濯物は、妻が取りには来ないので、そのままである。
    不自由な身体で、独りでのベットでの生活。
    パソコンを使える環境ではないために、
    彼の趣味のネット検索も出来ずに、この不便極まりない生活を、
    彼は、14日間続けることを決心した。

    これは、私には出来ないことである。
    ある意味、軟禁状態で、独り自分自身と向き合う生活が始められた。
    それは、まさに自分を深く深く探究する道場でもある。
    これまで、彼は、ずっと外に刺激を求めて来た。
    海外旅行は、中国が7回?中南米その他の国を含めると10回位行っている。
    それだけの見聞を深め、学んだ来た彼だった。
    しかし、P病を患い、今では身体の不自由を感ずる生活を続けている。
    この病で、現状維持、身体の温存ができたら、幸いな病だった。
    「悪くなるだけ」つまり、「治療はできない難病」でもあった。

    さてさて、この朝を彼は、どんな気持ちで迎えたことだろうか。
    誰一人手助けの居ない生活は、彼にとっては初めての経験だ。
    そうした状況で身体を思う様に動かせないことのストレスと孤独。
    彼は、今、そのどうにもならない孤独と向かい合っている。

    彼の妻は、私の妻と同じように、これまでの彼の行動を呆れているに違いない。
    行っても言うことを聴かない。
    自分が生きたければ、毎年夏には二週間の海外旅行を続けた。
    土日は、地域の行事や彼の総合学習の為に、あちらこちらと出没した。
    家庭は、彼が居ないことが当たり前となっている。
    そうした主人を、妻も、子どもたちも当てにはしない。
    その結果が、このホテルの独り暮らしとなっている。

    彼は、実は、私だった。
    彼のことを思うと、可哀想だと思うことがある。
    私だったらどうするか・・・。そんなことをいつも考えつつ、心配している。
    「今頃、何をしているのだろうなぁ」
    今朝は、曇りだ。午後は、雨になる予報だった。

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