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  • from: クマドンさん

    2021年01月11日 07時57分32秒

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    自分は、自分なりに生きればいいんだ

    「ゲンダイ」にこんな記事が出ていた。
    「勉強ができる人が幸せになるわけじゃないよ」という題だ。

    その中で、全国のひきこもり状態にある人の数は115万人と推計されている。
    と、内閣府の調査として、書かれてあった。
    「その理由は様々だが、カウンセラーに寄せられるひきこもりに関する相談の大部分は、
     大企業に勤める部長や役員などの要職に就いている人や経営者、医者といったエリート
     層の世帯によるものだという。」

    夫婦問題研究家・離婚カウンセラーの岡野あつ子氏の話
    「本来なら、子供の個性を把握して、それに合った将来を見一緒に考えてあげるのが
     親の在り方です。しかし、学歴社会で成功をおさめてきた人は特にステータス意識
     が強く、その成功体験を子供にも押し付ける傾向にあります。親は血こそ繋がって
     いても。同じ人間でないから、そこに摩擦が生まれるのです。」

    宗教人類学者・植島啓司氏の話
    「73歳になって特に実感するのは、定年を過ぎ、仕事も肩書も無くなれば、東大卒も
     高卒も同じということです。どれだけ勉強してきたかなんて、その先の人生には
     関係ない。けれど、かって高学歴と呼ばれていた人に限って、年配になっても「こ
     う生きなきゃ」という固定観念が抜けず、生き辛そうにしているんです。」

    「結局、最後に頼りになるのは知識ではなく人とのつながりです。かけがえのない友
     さえいれば、一緒に酒を飲みながらくだらない話に興じ、時には不安や悩みも打ち明
     けられる。つまづいた時、助けてくれる人がいないことこそ不幸です。」

    さてさて、こんな話だった。
    引用させてもらったことをお許しいただきたい。
    しかし、どうしてこの話をここに記したのかと言うと、
    63歳で、私がやっと気付いたことは、ここだったということだからだ。
    我が意を得たりという言葉がある。
    それは、私が数多の失敗や苦い過ちの経験から、学んだことがこれだった。

    それは、「親としてどのように子どもを育てて来たか」
    そして、「現役の時は、どのようにその仕事を勤めてきたか」
    また、「退職してから、どんな生活を自分はしているのか」
    そうした「問い」に対する答えを、今、私は、学んでいるからだった。

    今度、ゆっくりとこの一つ一つについて考えたい。
    今は、簡単に私のそれについての考えを述べるだけにする。

    〇子育てについて
    ・まぁ、ある意味、放任だったかなぁの反省もある。
    ・しかし、二人の息子は可愛くて、可愛くて、よく遊んだなぁ。
    ・「勉強しろ」とは、言わなかったなぁ。
    ・私は、親として何をこの子たちには教えて来たのかなぁ。
    ・思春期に反抗期を迎え、時には悩んで弱る姿も見た。私は父親として生きたかなぁ。
    ・ただ、今、分かることは、私は、彼ではなく。彼は、私ではないと言うこと。
    ・彼は、彼の人生を生きればいい。困ったら、助けてあげればそれでいい。
    ・だから、余計なことは言わない。というか、言う自信が私には、ない。
    ・親ができることは、遠くから見守ること。心配することかな。

    〇仕事について
    ・好きなことを、好きなようにやって来れたな。
    ・それは、こんな私のことを理解してくれた先輩と同僚のおかげさま。
    ・子どもたちを第一に考えた。一人一人が楽しい学校生活をだな。
    ・キャリアアップは全く眼中にはなかった。管理職の器でもなかった。
    ・しかし、既成概念とは闘い、新たなものをどんどん取り入れた。
    ・そうした創造したことの足跡が、いろいろなところに遺されている。
    ・ある意味で、仕事については自己満足。他者の評価は、気にしない。でも・・・・。
    ・若い人たちを育てる。導く。気付かせる。50歳からの私。後輩を育てる私。
    ・定年退職を迎え、自分のペースで走り切った、達成感は感じている。

    〇第二の人生について
    ・仕事の責任・義務からの解放感。
    ・経済よりも、何だか生き甲斐を優先にして生活している。
    ・好きなことをやる。どんどん新しいことに挑戦する。
    ・週に一度は、昼呑みにでかける。
    ・日々、庭の樹々や鳥たちを見て、気付きを深める。言葉に表す。
    ・どうしたら気持ちよく一日を生きられるか、そのことを優先にする。
    ・ルーディンを作る。それを守る。食事に気をつけ、呑まない日を作る。
    ・友と語る時間を持つ。友と呑んで語る。本音を語る。
    ・自分よりも家族のことを優先にする。家事を進んでやる。
    ・気楽に生きる。のんきに生きる。何でものんびりとやる。時間を使う。

    まぁ、私の尊敬する豊栄の仙人Kさん。
    彼は、昨年の3月で無事退職を迎えた。
    彼にも、波乱万丈は当たり前のように現役時代はあった。
    彼も私と同じで、管理職になろうとも思わなかった。
    飄々とその現場の荒波、嵐の中を航海し続けた。
    そして、ここに至った。すると、全身から力を抜いた。脱力をした。
    「きょうも、のんびり、気ままに生きる」その生き方を全うしている。
    「幸せな男」だ。
    家族想いで、家族からも愛され、想われている。
    だから、日々「これで、いいのだ」で生きている。
    それができるから、彼は、生きることの達人と呼ぶ。

    どうして、できたか。
    それは、彼が、教頭にも校長にも、管理主事にもならなかったからだ。
    私も、同じだ。
    そして、私の本音で語り合える友と、みんな管理職にならなかった人たちだ。
    この前、元校長と言う人と呑んだ。何も面白くはないどころか、腹が立った。
    話す前から、この人の頭では、結論・こうあるべきは、決まっていた。
    まるで固い固い石だった。勉強のできる人。出世する人。何だかねぇ・・・・。

    本当は、私たちは、間違った既成概念を教えられて育ったのではないだろうか。
    「勉強ができなくてはだめだ」「有名な学校に入らなければだめだ」
    「医者にならねばだめだ」「大企業に就職しなければだめだ」
    しかし、そうして生きて来た人たちが、幸せであるかのエビデンスはない。
    それを信じて邁進して来た人には、
    70歳になった今更、そうでなかったとは思いたくない。
    だから、校長は校長たちで集まる。そこで誰が一番偉いかをまだ言い合っている。
    さもしい者だなぁと、想う。

    Kさんも、私も、彼らから見たら、落ちこぼれの教師であるかも知れない。
    「管理職にならないやつは、やる気のないやつだ」と、私は言われた。揶揄された。
    「まぁ、いいか」だな。
    人生、60歳で定年退職してから、本当の人生が始まる。
    第二の人生どころか、これが実は第一の人生なんだ。
    この年代を、幸せに生きるために、第二の「仕事」人生は存在している。
    現役で仕事をしている期間は、全くの「途中」なんだ。
    そのことを忘れるから、どんぐりの背比べ。仕事のために命を縮める。
    適当でいいんだ。家族と自分の幸せのためには、適当にやることだ。

    と言うことを、教えてくれる校長は、一人もいなかったな。
    みんなどうやって日々を生きていることだろうなぁ。

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