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  • from: クマドンさん

    2021年01月24日 07時46分42秒

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    みんなでありたい。普通でありたい。

    普通でありたい。
    だから、周りの人たちを気にしながら、自分自身も普通になろうと努力する。
    どこに普通と言う基準があるのか、私には分からないが、
    そうやって生きようと努力して来た人にだけは、普通が見えるようだ。
    台湾籍をもつ母から生まれた作家は、生まれたことだけで、
    この日本では普通ではない存在とみなされて生きた来た。
    みんなと違うものは、全て、普通ではないものだ。
    しかし、だからその違いを受け入れ、その個を認められるのならばまだいい。
    しかし、実情は、全くその反対のことが多いと、語っていた。

    それは、普通でなくなることを恐れている人たちにとっては、
    その在り方そのものが自分たちが思いこんでいる普通とは違っている人たちを、
    排除し、攻撃し、差別しようとするからだ。
    人が集まる社会からは、いじめはなくなることはないと思う。
    そんなものなくなればいいとは思う。
    しかし、自分自身の中にも異質ものを排除しようとする気持ちも無くはないからだ。

    普通になろうとしている人を、彼女が語った。
    それは、みんなに自分をよく見られたい。みんなと同じでありたい。
    集団の中で生きていたい。みんなから少しでも認められたい。
    そうした願い持たされて、生かされて来た人たちにとって、
    「みんな」が当たり前になり、「普通」が信仰の対象にもなっているということだ。
    つまり、それ以外の在り方を、その人は考えられなくなる。
    しかし、「みんな」も「普通」も、本当は存在していないものだ。
    その人が、親や教師や友達から教えられたと思い、
    その人が勝手に創りあげた幻影がそれなんだ。

    しかし、幻影を信じて、そうあらねばならないとそのことを追ううちに、
    いくらやってもその理想の「みんな」と「普通」になられない自分に気付く。
    この二つに呪縛されている人には、自分自身を育てることが難しい。
    何故なら、自分自身とは、個別である私だからだ。
    確かに、私の中には「みんな」と呼べる私も居る。
    または、「普通」=「普遍」と呼ばれる共通項も在る。
    しかし、それを知りつつも、独自な自分を確立することが、
    自分として自立した生き方となる。

    しかし、この人たちは、思考を停止する。
    もし、そんなことに気付いてしまったら、今まで信じていた対象がなくなってしまう。
    それでいいと思っていたから、そうなろうと突き進んで来た。
    それなのに、今更、それは間違いでした。
    これまでの自分の人生は、幻影でしたとは、誰も考えたくも無い。
    そうやって30代・40代まで生きて来た。
    今更、宗旨替えは御免こうむる・
    だから、そんな疑問はなかったことにして、これからもその信仰に突き進む。
    「思考停止」は、「自分の成長停止」と同じことだ。

    そうやって生きて来た人の一つの特徴は、
    自由に生きている人たちのことを心から赦されないということだ。
    自分は、こんなに我慢して、自分を殺して、普通になろうとして来たのに、
    どうしてあの人は、自分勝手に、自由に、楽しそうに生きているのだ。
    「我慢が、ならない」
    つまり、ここで、攻撃モードに転換が起こる。発生する。自覚無しだ。

    日本人は、同調圧力を強く感じさせる国民であると、
    そうした外国籍を持ち、外国の暮らしや考え方を見に付けて育った人は、よく言う。
    何だかその集団の中に居るだけで、違和感と孤立感とを感じてしまうそうだった。
    それは、私自身も感じたことだ。
    どうしても「みんな」にはなれない。「みんな」とは違う。
    そのことを意識してから、この娑婆の世界はなかなかの苦行の世界となった。
    みんなは、とても楽しそうなのだが、私は孤独だった。
    みんなは、いつも一緒にいたが、私はいつも離れて座った。
    受け入れてくれる人が居なかったわけではないが、いつも違和感を感じて生きた。

    しかし、彼女は言う。
    こうやって人のことを攻撃する人は、自分自身を愛せない人なんですと。
    自分の中で自己を確立できていないその弱さを感じているから、
    人のことばかり気にしているそんな自分を、愛することはできないからだ。
    そこで、「何であの人は、みんなと違うのか」「おかしいだろう」と、腹を立てる。
    そんな言葉を誰かが言うと、そこに同調する人たちが、声を出す。発信する。
    それは、差別と偏見に満ちたヘイトになることも多くなる。
    しかし、数は自分たちが圧倒的に多数だった。
    攻撃される側は、弱い個であることが多いからだ。
    そこへ、自己の欲求不満の腹立たしさをぶつける。
    そこから、いじめは始まり、次第にエスカレートする。

    何が言いたいかと言うと、自分自身を受け入れ、愛されない人は、
    人のことをけっして愛することはできないということだった。
    そして、幼い時から、親からの強い指示命令で育てられた人は、
    その親の一方的に押し付けて来た価値観だけを鵜呑みにして、
    それがこの世の中で、みんなとして、普通として生きる生き方であり、
    そう生きることで、きっと自分は幸せになるのだと、信じ込ませられてしまうのだ。
    今の20代・30代・40代の大人の人に、そういう人が多いように感じられる。
    若者からプロテクトが社会的に起きて来ない原因は、
    教えられ、押し付けられ、指示命令されたその価値観は、
    おかしいのだと、そうではない違うものがあるのだと、
    学んでは来ていないからなのではないだろうか。
    つまり、この時代の変化にも、従順に生きる方だけを身に着けているということだ。

    日本人から、特にそれを感じてしまうと、彼女の言葉は重く受け止めた。
    私たちは、本質的に保守的で、権威主義で、お上を信じて生きて来た国民なんだな。
    上からの指示命令に、不服なんぞ滅相も無く、「ははぁ」それだけだ。
    そうやって、それだけを信じて生きることが、自分の幸せなんだとも思い込んでいる。
    だから、変革は望まない。現状維持。明日もこれなら、これでいい。

    個を確立するためには、孤にならなければならない。
    みんなと普通の中では、個は絶対に確立は出来ない。
    なぜなら、個とは、みんなや普通ではない自分であるからだ。
    みんなは、こうする。だから、私は、こうしない。
    普通はこうだ、だから私は、違う道を行く。
    そのみんなから離れる孤独しか、その個を育てる豊かな土壌は存在しない。
    孤独になること。まず、ここからなんだ。ここが個の出発点だ。
    しかし、みんなと普通の人たちが一番恐れていることは、孤独な自分だ。
    その孤独に、耐えられない。孤独であることは、
    自分を否定されている気になってしまう。
    だから、孤独感を少しでも感じないように努力する。
    SNSはそのためにある。

    何を言いたいのか、自分でもよくは分からなくったが、
    腹が空くと、人間は攻撃的になる。
    それと同じで、
    自己が稀薄になり、見失ったままでいると、
    幸せそうに生きている人をいじめたくなるもののようだ。
    人を差別し、いじめている人たちほど、心が飢え渇いている人はいない。
    あることないこと勝手にでっちあげて、誹謗中傷する人たちを知っている。
    また、私もその被害者となり、見事に悪口陰口の標的にさせられた。

    しかし、考えを始めに戻すなら、
    この人たちこそ、「みんな」と「普通」の幻影に騙された人たちであり、
    そのことの腹いせで、妬みから、こうした人に対する攻撃は生まれるのではないのか。
    それは、あくまでも「異星人学会」での仮説にしかすぎないことだ。

    しかし、やはり、「ああしろ」「こうしろ」「お前は駄目だ」「何やってんだ」と、
    親から言われ続け、「これはお前の将来を心配しているから言うんだ」と、
    親が自分もできなかったことへの不満を、その解消を子に押し付け、
    「世の中はそんなに甘くはない」「みんなと同じでいい」「普通でいいんた」と、
    教え込まされ、その価値観を術だと信じ込まされて生きて来た人たちは、
    今、親が言っていたように幸せな生き方をしているのだろうか。
    確かに、私は、大半の人たちが、それなりに幸せに生きていることも知っている。

    しかし、この「みんな」と「普通」に毒されて、
    今でも自分のことを許せず、愛することも出来ない大人もいることを、
    私は、知っている。
    その親の「みんな」と「普通」とは、一体なんだったのだろうか。
    その人は、今、その毒親たちに反乱をし始めている。
    この自分だけの旗印を立てて、反乱する。
    その「反抗期」は、いくつになってもいいのだと、私は思う。

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