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  • from: クマドンさん

    2021年01月26日 09時56分52秒

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    意味を味わう

    味わったことは、身体となる。
    それは、具体だ。
    意味とは、その「意」を味わうことだ。
    では、「意」とは何か。

    私たちは被造物である。自分で生まれたわけではない。
    生んでもらった。いつの間にか、生まれて育っている。
    しかし、この世に生まれるもの全てには、「意」はある。
    いや、「意」でなくて生まれた存在は一つもあるわけはない。
    みんな命在るもの、命の無いもの、全てには「意」がある。

    それでは、その「意」とは何か。
    それは、「それでいい」という絶対の肯定・認識だ。
    「それでいい」として生まれて来た。
    「それでいい」として生きている。
    しかし、その「意」を理解せず、それを知らず、それに従わず、
    ちっぽけで愚かなる自分を優先にすることで、
    「意」を見失う。「意」から外れる。
    道を外したまま、歳をとる。生かされる。それを知らぬまま、死ぬ。

    「意」としてこの世に生かされた私。
    しかし、その「意」を知らず、いや、時にはそれを見下して、
    そんな目にも見えない存在もしないもののために生きられるかと、
    自分勝手な方向へ舵を切る。進む。
    それが大いなる迷いであるとも知らないで。

    まぁ、いい。
    とにかく、今朝、はっとした。
    意味の無い存在は、一つも存在していないんだと。
    何故なら、この世に生まれた。また、ここにある。
    そのことだけで、意味がある。
    在るものは、意味の在るものなんだ。
    それで、充分だと、私は、思った。

    だから、ヒヨドリの寒太郎と話しかける。
    彼は、そんな私の言葉を感じてくれていると信じながら。
    私が、迷った時。凹んだ時。駄目だなぁと落ち込んだ時。
    私は、きっと自分自身の「意味」を見失っている時だと思う。
    そして、その「意味」とは、普遍的なものであり、個別は個別であるが、
    普遍は普遍で、寒太郎と私とは、その普遍の深くで響き合っている。

    自然に在るもの。自然に生きるものは、その意味の顕れだ。
    ここに、迷ったら、学べばいい。
    私は、いつもそうして、リカバリーして来た。
    ここには、意味が顕わに存在している。
    問題は、その寒太郎や雀の顕わにしている意味を味わえるかどうかだな。

    味わわなければ、自分の身体にはならない。
    実は、不思議なんだが、この意味を味わうのは、精神であり、魂だった。
    またここで、立ち止まる人が居る。
    「何を言ってんだ。そんなものあるわけ、ねぇろ」だな。
    池田晶子さんが言っていた。
    「魂が分かると、全てが分かる」と。
    私は、歳をとり、やっとその近くまでたどり着いた気がする。
    しかし、まだまだ、遙か彼方だ。
    それでも、その存在を確信していることだけでも、幸せな人だと思っている。

    「意味」は、在る。絶対に。
    ただ、これは、そのことを信じられる人にだけ、分かるものでもあった。
    「信じる」ことの出来ない人は、死んでからも信じられない人だ。
    「信じる」か、「信じないか」のどちらかで、
    その人の人生は、全く違うものとなる。
    そり証は、私だ。そして、あの人たちだ。私の師たちだ。
    そうやって真っ直ぐに生きている人たちがいる。
    この国の政治家ほど愚かな裸の王様はいない。
    何か、勘違いしてはならない。
    ちゃんと生きられている人は、いる。
    それは、何かを信じて、身体で体得したものを生きている人たちだ。

    私は、遺された僅かな時間を、この人に従って生きることにした。
    信ずる人に、着き従って生きることだ。
    そう考えると、信じられるのは自分だけでという人たちが、哀れになる。
    こんな自分の何を信じると言うのだ。
    私は、この自分で生きて来てよかったが、過ちも数多でかして生きて来た。
    それが、私だ。
    だから、生き方の師は必要なんだな。

    まぁ、今日もただ、その「意」を味わって生きるだけ。
    味わうことが先なんだな。
    それから、それは何かと考える。
    その時、身体の言葉で顕される。
    その言葉こそ、信じられる言葉となる。
    その言葉が、普遍となる。

    とにかく、意味の無いものは無い。
    その意味を日々味わうことで、日々人は新たに生きられる。
    そんなことを、朝食を造りながら、ふと気付いた。

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