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  • from: クマドンさん

    2021年01月28日 06時45分43秒

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    ドッボンしなけれゃ、分からない

    見事に討ち死にをした。
    そのために、その場に立ったようなものだ。
    課題曲が決められていても、難曲には違いは無い。
    それを暗譜で歌える人たちの凄さに、逆に私は感動をする。
    私は、最後の時間まで詰めた。あがいた。練習を繰り返した。
    でも、分かっていた。
    きっとピアノだけでは、歌えないことを。
    つまり、そこまでは全く届かない状況の中に居る。

    これを必死に練習したら、どうだったのか。
    この曲だけを集中的に練習したら出来たのか。
    それは、やってみなければ分からないことだ。
    しかし、これこそがプロの厳しさだ。
    コンサートホールでお金をとっての演奏は、それだけのものは必要なんだ。
    感動を与えられる歌であること。
    私は、そこまで至らなかった。遙か彼方で蹴落とされた。それだけだ。

    ただ、分かったことがある。
    出来なくても試される場には、立たねばならないということだ。
    他の人たちが待つその場で、全く歌えない私が歌う。
    それは、恥ずかしさとか、屈辱感とかではない。
    その場に私が立ち、歌えるかどうかの、私の決意と行動だった。
    逃げ出したい。辞めたい。帰りたい。
    その弱気にどれだけ「だめだ」と挑み続けたことか。

    つまり、私の中には、「逃げたい私」と「逃げてはいけない私」が居た。
    その私と私とのせめぎ合いだった。
    その中で、恥をかくと分かっていながら、それをやれた。
    私は、ここに、今回の意味があったと思っている。

    何事も「ドッボン」なんだ。
    しかし、そのドッボンは、ドッボンした人だけに意味が在ること。
    ドッボンもせずに、それが大事だと言っている人は、嘘なんだな。
    ドッボンした人にだけ、その先が感じられる。
    「ああ、こうか」と、腑に落ちる。
    だから、人生は、ドッボンに尽きる。
    そして、そうすることで、後悔はなく、きっと何か大事なものを学べる。

    今回のドッボンでも、そのことの確かさを学んだ。
    符号化通知は、今日か明日には届くはずだ。
    それでも、レクイエムの練習は、続けようと思っている。

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