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  • from: クマドンさん

    2021年02月24日 09時19分53秒

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    イアソンの復活だ

    今週は、毎日、夜にはリーデングの稽古だ。
    ワークショップのつもりで、気軽に参加した会だった。
    しかし、ギリシャ神話のイアソンにはまった。
    海賊船の船長の台詞を覚えながら、役者が役をやるとはどういうことかを考えた。
    この台詞、11月の学童保育のあの頃から、覚え始めた。
    職場に歩きで向かう途中に、声に出して、感情を入れて覚えた台詞だ。
    その日の台詞を決めて、それを徹底的に繰り返して頭に入れた。
    しかし、それは言葉を覚えただけ。
    覚えたから、思い出すことが、演技になった。
    全部、「駄目」と言われた。

    「思考した下さい」
    「言葉が出て来ます」
    これは何だの新たな世界だった。
    「自分を超えましよう」
    ちょっと待ってくれ。自分を超えても、自分だろう。
    「クマさんは、自分が語ろうとしています。イアソンが語るのです」
    何だそれは。いつもいつも驚きと新発見の連続だった。
    そこで、私は「ドッボン」に気付いた。
    「ここがロドスだ。ここで跳べ」とばかりに、えいっと跳んだ。
    これは、私にとっての大きな学びだった。

    確かに、いつもどこかで人の目や評価を気にしていたようだ。
    また、こうしてやろう。こんな気持ちなんだと、
    自分で勝手に解釈をして、その役になろうと努力していた。
    その時、私とイアソンとは、全く別物として存在する。
    何故なら、そこに現われているのは、私が考えて造り出した造り物。
    本当のイアソンは、ここには存在していないからだ。

    では、そのイアソンは、どこに居るのか。
    それは、自分の中に、いや、イアソンは復活することを待ち望んでいるんだな。
    その現われ出でようとするイアソンに、この身体を明け渡す。
    この身体と私を空っぽにする。
    そこに、いつの間にか、イアソンが宿り、イアソンが吠え、イアソンが暴れる。
    そのことを、私も楽しめばいい。
    与えられた役は、私が成りたかったその人なんだ。

    昨日、ふと、感じた。
    多くの人たちが、シェークスピアやギリシャ悲劇を演ずる。
    しかし、心に響かない。言葉が届かない。感動が全く無かった。
    それは、演じているからだ。
    自分が覚えた長台詞を間違えなく、言えことにだけ真剣だからだ。
    単に、台詞を見て、読んでいる人もいる。
    その言葉から、何の感動も生まれて来なかった。
    それは、一生懸命演じながらも、それは、他人事。造り物。
    自分の生き方・信念・真実、そのものではないからだろう。
    演ずることは出来る。それは、絶対に、そこまでなんだな。
    まだ向こう側に居る。こっち側に来たことが一度も無い。

    イアソンをやりながら感じたことは、「狂気」と「怒り」と「憎しみ」だった。
    その極限の現われとして、彼がここに立つ。
    舞台とは、彼が時空を超えて現われるための装置だった。
    だから、一歩でも踏み出したら、もう私ではない。
    イアソンの狂気となる。吠える。怒る。憎む。嘆く。怒鳴る。
    その塊。それでけでいい。
    イアソンが語る。ならば、少しの台詞の間違いは、何も問題ではない。
    問題は、イアソンではなく、このクマがそこ立っていることだ。
    イアソンに明け渡せ。イアソンに登場させろ。

    出来たか、出来ないかは、簡単だ。
    観ている人たちが、イアソンの恐ろしさと荒々しさとを感んじ、
    言葉を呑んで、その空気感に魅入ることだ。
    私は、イアソンでありながら、イアソンを見てはいない。
    私が無我夢中で没入すればするほど、イアソンは激しくそこに生きる。
    きっとみんなは、イアソンを観ているはずだ。
    だから、空気感が一変する。異界とその瞬間繋がる。それが、快感なんだ。

    どうして、そうならないのか。
    それは、役者として役になろうとするからだった。
    お芝居をしているつもりで台詞を読むと、本当に白けるものだ。
    その台詞は、私には響かない。そうすると、その台詞は辛い時間を私に嫁する。
    2時間半だった。私の出番まで、そんな辛さに耐えていた。
    お客さんは、きっと飽き飽きするだろう。帰りたくなるだろう。
    独りよがりの、独りがって。台詞は、本当は、お客さんのものでもあるのだ。
    それを、ちゃんと受け渡していない。
    そこで、独り台詞を読んでいる女性が居る。
    これで、いいのか、私は、腹立たしくもなって来た。

    えい、ままよ。
    これが、イアソンに成るための私の第一歩の気持ちだった。
    どうなるかは、イアソンにきいてくれ。
    「あの、怖ろしいことをしでかしたメディアは・・・」
    この台詞で、全ては決まる。
    イアソンと一枚になる。混じりっ気の無いイアソンである。
    「ああ、イアソンが出て来たな」と、遠くで感ずる。
    後は、イアソンに全て委ねる。好きにやってもらう。そのままの感情をぶっつける。
    実は、これが快感だった。
    こんな言葉を、私が言えるのは、イアソンとして舞台に立った時だけだ。

    つまり、イアソンに成れる快感と感動を、この舞台は与えてくれる。
    ギリシャ時代に生きた野蛮で粗野で単純な海賊船の船長だ。
    彼は、死者である。
    その彼が、この世に蘇る機会を与えられた。
    その身体は、この私のこれである。
    ここに、あの第一歩から、イアソンが乗り移る。イアソンのものになる。
    久しぶりの人間だ。暴れることが嬉しくてたまらない。
    あの憎きメディアへの復讐だ。
    ぶっ殺してやる。引き裂いてやる。
    そんなことを、私は、イアソンである時以外には、決して言えない。

    そこが、まだまだみんなには、分かっていない。
    その舞台で演ずるのは、Aさんであり、Bさんである。
    2000年前に生きていたその人ではない。
    英雄であり、王女であり、貴族であり、妖精である。
    その死んでしまった死者たちを、ここに復活させる。
    それだけで、いいのに、それを演じようとする。
    それは、その役に対する越権行為・傲慢な態度・非礼でもある。
    だから、メカベもハーモィも現われて来ない。
    居るのは、その人。
    その人を見るために、お客さんは舞台を見つめない。
    その人たちは、どう生きていたのか。感じたいのは、死者たちの言葉だ。

    ドッボンする。それは、自分が身投げして、死ぬと言うことだ。
    そうだから、イアソンが目覚める。息を吹き返す。一瞬、生き帰る。
    後は、好きなようにさせれば、いい。
    イアソンは、思う存分、爆発するはず、それを楽しめ。それだけだ。

    これは、自分を捨てる訓練だ。
    この線を跨いだら、もうイアソンなんだ。面白いね。快感だね。
    そんなことが出来るのも、あと何回となってしまった。
    今回、初めは気軽に参加したこのリーデングだったが、
    私に、役に乗り移られ、乗っ取られるその感動を、味わわせてくれている。

    これは、この世界に行った者にしか、絶対に分からない世界なんだ。
    本番は、日曜日の午後から2公演である。

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