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  • from: クマドンさん

    2021年03月10日 07時13分04秒

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    語れることは、幸せだ

    ここで書くことが少なくなった。
    それはそれで自然なままに任せることにした。
    FBに1時間かけてメッセージを投稿するようになった。
    それは、自分の今、ここを、記録するためだった。
    そんなこと全く意味の無いことは分かっている。
    しかし、同じ世代の人間が、今、ここで、どんな想いで生きているのか。
    そのことの発信は、きっと誰かに届くのではないのかと、私は思っている。

    震災のために福島の双葉町から柏崎に避難した50歳のAさんの話だった。
    彼は、福島での職を失い、避難先の柏崎で、避難者支援の仕事に就いた。
    その仕事とは、同じような福島から避難して来た人たちのお宅を訪問し、
    困っていることは無いか、家族はどうか、健康はどうかと、
    聴き取り調査をする仕事だった。
    ところが、親しくなり、話を聴くうちに、話がどんどん深く重いものになって行った。
    癌での闘病生活。経済的な困窮。仕事が無いと言う事。子どもがいじめられている事。
    「放射能がうつるから、あっちに行け」と言われた人も居る。

    彼は、気軽に引き受けたこの仕事が、とんでもない重い仕事であったと気付いた。
    それから、10年の月日がたっても、今も彼は訪問支援員として働いている。
    ある母子家庭の若いお母さんの言葉だ。
    「私は、この子に馬乗りになり、首を絞めて殺すところでした」
    「でも、Aさんに、私の苦しみを聴いてもらい、私たち親子は救われました」
    その母親は、福島に帰還する前に、そのことを彼に伝えたく、訪ねて来たそうだ。
    「こんな私にも、役割があったんだ」と、感慨深く彼が語った。

    その彼は、震災で避難してから10年ここで生活し、仕事をし、家も建てた。
    ここ終の住まいと決めてはいても、やはり双葉町のことが忘れられないと言う。
    そこには、彼の40歳までの人生が遺されているからだった。
    それまで積み上げて来たものが、全て、一瞬で彼の手から奪われた。
    彼は、「ここには、友達が1人もいない」と、語っていた。
    それは、彼が、そうやって避難者の声を聴きながらも、
    自らの心の深味に在る悲しみや苦悩を語っていないからだと言った。
    「何だか、避難者の私が、言えないのですよね」と、遠慮と気付かいだった。

    人は、スピリチュアルな存在でもある。
    そして、人は、全ての人がこのスピリチュアルの箱を無意識下に持っている。
    それは、何事もなかったら、そのまま蓋はされたままだ。
    しかし、癌での余命宣告。妻や子ども死。震災での被災と多くの人たちの死。
    そうした、無常なる現実と出くわし、その哀しみと苦悩と孤独とに向き合うと、
    パカッとその蓋が開けられる。
    それは、私も生きる死ぬの緊急手術の後、開いた蓋だった。

    すると、スピリチュアルな目覚めが起こる。思考が始まる。問いが生まれる。
    「私は、これからどうなるのだろうか」
    「私は、ちゃんと人生を生きて来たのか」
    「私は、もっとやるべきことがあったのではないのか」
    「私は、こんな生き方のままで善いのか」
    そんな話をすると、本当は人は、嫌がるものだ。
    それは、その人のスピリチュアルの蓋が、まだ固く閉ざされているからだ。
    酒の席でそんな話をする。すると、場が白けた感じがする。
    だから、人は、その話を避ける。当たり障りの無い話で笑う。
    しかし、その人たちにも、この「いかに生きるか」の悩みはある。
    人は、それを人には見せないように努力する。
    そんな事を話すことを恥ずかしいことと思っている人も確かにいる。

    私は、一番大切な話とは、「いかに生きるか」の話だと思っている。
    だから、Sさんとの電話でも、Kさんとの二人呑みでも、その話だけだ。
    つまり、ここに書いている話をするために、電話をするし、会うために出かける。
    反対に、その話が出来ない人たちとは、ぱったりと会わなくなった。
    義理や定例の会の呑み会は、一切無くなった。
    その会に行くと、気を使い、言いたいことや話したいことが言えない会だった。
    今は、ここに書いていることだけを、考えながらお互いに話すだけだ。

    SNSである。
    しかし、ここには、美しく、楽しく、充実した、幸せな私。
    しかし、そうしたその人にも、深く深くの哀しみと苦悩と孤独はあるはず。
    しかし、そのことを話さない。言えない。語れない。
    どんどん無意識下に隠され、蓄えられ、増幅して行く。
    では、どうやってその事心の重荷を軽く出来るのか。
    それは、やっぱり、素直に話すこと。または、こうして書き記す事だ。
    無かったようにしたいし、人にはそんな悲しみ苦しみを気取られたくも無い。
    「幸せ」な自分を演じたい。そう相手には思わせたい。
    でも、その重荷は、決して消えることは無い。

    彼が、1人も友達がいないと言うことは、とても勇気のある発言だ。
    しかし、きっと彼には、その箱の中身を実感をもって語る事で、
    自分がみんなから誤解されたり、距離を置かれたりすることを、心配があると思う。
    本音を語る。実感を語る。ただ思っていることを素直に語る。
    これって、なかなか人には抵抗のあることのようだった。

    私のFBも、この「親父たちよ」も、ただの本音だけだ。
    私は、きっとこで語る事で、癒されて来たのだと思っている。
    これは、私にとっての私からの独白でしか過ぎない。
    または、現世を生きる私が、スピリチュアルな私との対話なのかも知れない。
    とにかく、こうして顕わにすることで、無意識下の重荷は確かに減っている。

    話すとは、手放すという事。
    語るとは、カタルシスという事かな。

    本音で語の語りを聴いてくれる人を、友と言うようだ。
    ならば、そういう友を持っている私は、幸せな人だ。
    そして、こうしてFBやここで、本心・本音を語っている。
    繕ったり、嘘をついたり、上っ面だけだったりしたら、私には意味は無い。
    だから、避難者たちは、彼の来訪をいつかいつかと待ち望んでいるのだと思う。

    語れたら、幸せを感じられる。
    隠して繕ったら、苦しくなる。
    これって、やっぱり真実ではないだろうか。

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