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  • from: クマドンさん

    2021年03月15日 07時58分45秒

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    道理から見る。道理でおかしい人たちだった。

    道理を生きる。
    これに尽きるな。

    今の世の中、特に政治家と言う輩は、道理を自分の得のために曲げて考える。
    道理をちょうどよいように解釈して説明する。
    あれほど人間の劣化した姿を、どうして恥ずかしげもなく、国民に晒すのか。
    「己を知らない」本当に平気で国民に対して国会で嘘をつける人たちだ。
    とは、言いながら、この国は、江戸時代から全く進歩していない国である。
    「摂生が無い」「道理が分からない」「道徳心のかけらもない」
    そんな人たちが、この国のリーダーだと言って、接待で袖の下を平気でもらう。
    何か勘違いしているのではないのか。
    「ばれたから、もうしわけありません」
    「ばれないように、もっと注意すべきでした。気の緩みです」
    こんな人を、人間と呼べるのだろうか。

    まぁ、いい、それは仕方ない事だ。
    私は、そうした事を当たり前として、威張っている人たちからは、離れた。
    本当に、楽になった。
    「人からどう言われてもいい」「どう想われてもいい」
    とにかく、この精神の自由だけは、守ろうと思っている。
    そのために、今は、どのように生きて行くか。その事を考えている。

    十牛図を今朝は、学んだ。
    まぁ、この嘘つきの政治家や官僚たちは、人間以前の輩だからほっとくことにして、
    この私は、どうやって生きたら「まことの楽しみ」を味わいながら、
    毎日の生活を続けることが出来るのかの問いだった。

    まず、「道理」を求める。「道」を歩く。
    この道からは、離れずに歩くことだ。
    だから、その道から迷うような事をここで断つことだ。
    余計な事には、かかわらない。
    自分が気持ちよく出来ることだけを、やる。
    人からどう想われようと構わない。私は、私の気持ちいい生活を生きるだけだ。
    しかし、この道を歩くことをやめない。

    その内に、「ああ、これだ」というものに出会う。
    私が、自分の体の命ずるままに従って生きる時、安心を感じられる。
    「無理」な事をしている時は、疲れが溜まり、ストレスを感ずる。
    体に聴きながら生きることで、私はこの道を外れずに生きることが出来る。
    だから、頭では考えない。常に、体で考えることにする。

    さて、そのまま、一体になる。
    それと、同化する。それが、自然に生きる姿なんだな。
    そこには、損得や出来不出来、在るや無いは、存在しない。
    世の中の「これはこうなんだ」という、曲がった定規では測らない、測れない。
    曲がった定規のままで生きると、接待疑惑で退職となってしまう。
    間違っている事、不正であることが、見えなくなってしまう。
    だから、私は、独りで生きる。
    先生は、寒太郎と雀たちだな。
    あの人間たちは、間違った愚かな人間の手本にはなるが、屑だと思う。

    人間が屑になってしまっては、お終いだ。
    だから、本当の自分のままで生きられるように努力する。
    だから、この世に惑わされず、この世の人を見ないことにする。
    その代わり、ちゃんと、毎日自然に学び、自然と遊ぶ。
    今は、そんな一日を気持ちよく生活するだけで満足だ。

    足るを知るとよく言われる。
    では、どうして足りないと、人は思うのか。
    1億円のマンションに住み、一食7万円の接待を受ける。
    それは、自分には当たり前の事。本当はもっと上を目指している。
    その人は、どうあっても足りるは、無いと思う。
    実は、そんな欲望と妄想の中で生かされている餓鬼を、仏教では迷いと言う。
    本当に自分自身に気付かず、迷いのままに死を迎える。
    哀れな人は、この足るを知らない人たちだ。
    国会では、哀れが雁首並べて、謝罪している。

    だから、怖いのは、お金と権力、地位と名誉だ。
    私には、それが無い。だから、のほほんとして生きられる。
    私を悪く言う人もいる。よくは思わない人もいる。
    しかし、その人がどう想おうと、私は、私を生きるだけ。
    ただそれだけだと思うと、楽なものだ。

    全てのものは、「円」である。
    ちゃんとと「道理」で調和している。循環しながら、元に還る。また始まる。
    その循環の中、変化する中で、自分も循環し変化しながら生きて行く。
    それだけで、いい。それが、足るを知る生き方だからだ。

    まず、古くて固い自分自身を断捨離することだ。
    まず、これをやらないと、次には、けっして繋がらない。
    まず捨てる。まずは、この自分を捨てることだ。
    すると、空っぽになる。その空っぽが大事な事だ。
    ここには、お金や権力、地位や名誉は入らない。
    それを捨てたから、すっからんの空っぽになったのだ。

    ここで、全く人間としての道が分かれる。
    あの国会で平気で嘘をつける人たちのような人間は、劣った人間なんだ。
    そう思えば、本当に憐れな人たちだ。何か間違ったことを信じさせられた人たちだ。
    しかし、私の言う、空っぽの人たちは、断捨離の人たちだ。
    その人たちは、常に人間としての成長を求めて生きる人である。
    嘘をついたり、法律に違反して金をばらまいたり、違法な接待は受けない人たちだ。
    それは、物事の道理が分かり、善悪をわきまえて実行している人たちだからだ。
    この人たちが、人間として劣化して腐るはずは無い。
    この二つの道は、大きくその人の人生の幸福にかかわる事である。

    あの人たちのようにならないことだ。
    例え、組織で冷や水を呑まされ、出世出来ず、左遷されても、
    人間としてやってはいけないことはやらず、道理をしっかりと守って生きる。
    そのことが出来ない大人は、やはり何を学んで来たのかと、哀れに想う。
    だから、しっかりと生きなければならない。
    つるむな。ただ酒を呑むな。権力にすり寄るな。ご機嫌をとろうとするな。
    しかし、こんなことばかり考えている輩を、私はたくさん知っている。
    仕方ない。それもまた、人間なんだな。
    検察庁長官が賭け麻雀をやったら、終わりだとは思わないんだな。

    まぁ、分かろうが、分かるまいが。知っていようが、知らなかろうが。
    世の中には、ちゃんと自然の道理が生きている。
    その道理で、この自然や世の中は成り立っている。
    それなのに、それを自分勝手に都合よく曲げて嘘をつく人間たち。
    道理から、どんなしっぺ返しが来るか、考えるだけで恐ろしい話だ。

    道理から見たら、実に情けなく愚かで劣った人間たちであると、よく分かる。

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