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  • from: クマドンさん

    2021年05月06日 07時42分44秒

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    先生がいじめる

    人とかかわることで、心が乱れる。
    それはそれで仕方ない。
    しかし、相手の心を乱している本人は、何も感じない。
    ただ、自分がイライラしている気持ちを相手にぶつけるだけだ。
    我が侭なんだな。自分勝手なんだな。
    それで、私が反論すると、怒りだす。
    もっとお互いに静かに、認め合いながら生活できないものなのかだな。

    職場での人間関係で、心を傷め、病んでいる人が居る。
    その人から相談を受ける場合もある。
    しかし、本質的には、そこには周りの同僚によるいじめが隠されている。
    これは学校の話だ。
    その人の同僚は、先生たちだ。
    私も、その女性の先生たちにいじめに合ったことがある。
    「いじめはいけません」と言っているその人が、いじめをしている。
    しかし、私に対してしていることは、いじめでは無いと思っている。
    ただ、嫌いだから、生意気だから、本人たちは教えてやるつもりなんだろう。

    まず、いつも批判的な目で、Aさんは、同僚から見られている。
    彼女は、アゥェーの人だった。
    そこには、すでに、そこの人たちに寄るルールが確立していた。
    「それは、おかしい」と感ずるものでも、それは、そこではルールだった。
    決め事に対しては、批判は出来ない。
    彼女が主任としてそこに居たとしても、その不文律には口出しは出来ない。

    次に、陰でこそこそと悪口を言っている。
    放課後のある教室にその人たちは集まり、合意形成を図る。
    つまり、この会合に集まった人は味方であり、仲間である。
    Aさんの立場に立ち、彼女を庇う人たちは、敵に回る。
    だから、ホームの皆さんは、そこいら辺の空気はちゃんと読んでいる。
    だから、ボス的な存在の先生に忖度する。同意する。共感する。
    ということは、Aさんを排除すると言う事だ。
    確かに、この現状に心を傷めている人もいるだろう。
    しかし、そんなことを悟られたら、今度は自分が血祭に挙げられる。
    ストレーシープは、必要なんだ。

    それから、直接困らせる文句を言う。
    よく分からないことや、少し遅れてしまったことを、言いに来る。訊きに来る。
    分からないことは、当たり前だ。
    まだまだこの職場に来たばかりだからだ。
    知っているホームの人たちは、親切に教えてあげればいい。
    なのに、自分たちが分かっているのに、その事をわざわざ訊きに行く。
    堪えられないと、困った顔をする。
    意地悪な人たちは、その人の仕事を親切に代わってやろうとはしない。
    「あなたの仕事です」「早くやってくだい」と、執拗に要求する。

    だんだん本人が弱って来ていることも理解している。
    そんな手応えも感じながらも、さらに続ける。
    これが先生と呼ばれている人たちがやっている。
    先生も人間なんだ。
    闇の部分は確かに持っている。
    なのに、子どもたちには、「いじめは、駄目」と、本気で叱る。
    この乖離している現実に、本人は全く気付かない。
    自分のことを、先生として良い人だとも、優秀な人だとも、思っていたりする。
    不思議なことだが、これが、事実なんだな。

    子どもたちは、こうして同僚をいじめる先生を、ちゃんと見抜いている。
    本当に子どもの直感とは優れたものだ。
    この先生の本質は、優しさか、意地悪か。明確に理解する。
    だから、この先生を好きにはならない。
    この先生に反発を感ずる。言う事をきかない。だから、また怒られる。
    この先生のクラスでは、先生の怒鳴り声と怒りは当たり前のこと。
    いつも怒ったような顔で、子どもたちの前に立つ。

    能力の乏しい先生は、力で子どもたちを押さえつけようとする。
    これは、人権侵害。弱い者いじめであることが分からない。
    その先生は、教育をしているつもりでも、子どもたちは恐怖を感ずる。
    だから、その先生は50代になっても、人間的な成長はしない。
    そして、同僚の事をいじめて、溜飲を下げている。

    どこにも必ず、この手の人は、生きている。
    そして、威張っている。そして、傲慢に、私の言う事をきけと言う。
    この人たちは、愛されていない人たちだ。
    残念だが、きっとその成育歴や家庭環境、現在の家族関係に、
    愛の無い生活を送る人たちなんだな。
    親から虐待を受けていたかもしれない。
    ネグレクトで拒否されて来たのかも知れない。
    実は、人をいじめて平気な人は、親や大人たちからそうされて来た人たちだった。
    その人は、ただ自分がされたことを、身近な人にしているだけ。
    愛されなかった人は、人を愛する人にはなりない。

    つまり、その連鎖が、この同僚の先生によるいじめなんだな。

    さて、その激しくなる攻撃をどのように耐えて、かわしていくか。
    その事は、また、経験に基づいて、次に考えようと思っている。
    とにかく、逃げてもいい。休んでもいい。いい加減でいい。としか、
    今は、言ってあげることが出来ない私だ。

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