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  • from: クマドンさん

    2022年07月24日 14時16分00秒

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    理想は、寺子屋だ

    さてさて、梅雨が明けたら長雨だ。なかなか思うようには進まない。今朝も涼しい朝である。35℃の猛暑の連日を覚悟していた。しかし、天気は平年並みに戻った。これが、自然の成り行き。この先、どうなるか分からないを生きている。
    たがら、臨機応変なんだな。その場、その場。その機、その機。それが向こうからやって来て・私の前に立っている。そしたら、「こうだ」がやっと言える。それに応じたやり方は、経験知や体験の中にストックはある。だから、それが来ない内に悩むことはない。それは、この天気のように、全く予想していない顔でやって来るからだ。
    来たら、「それでは」とそれに応える。しかし、この時に、決まったもので対応しようとすると、間違い、場違いになることが多い。ただ、「あっ、そうか。」とその時に気付いたことを、気付いたまんま、さっさと行う。間髪を入れない。直ぐにそうする。それが、応変だな。
    変わるのは、私だ。どうやっても変わりようがないのがあなただ。しかし、この私が柔軟に変わると、ガチガチに固く構えていたあなたも変わる。そんな経験を何度もしている。笑顔なんだ。相手への思いやりなんだ。優しさなんだ。「愛語には、回天の力あり」by道元だな。良寛さんは、その愛語の実践者。「敬天愛人」と西郷が言ったその人だ。変な意味ではない。「愛する人」になればいい。これが、本来の人間の生き方なんだな。
    さて、明日から夏休みになる。振り返ると、またまた私は不思議を生かされていることを感ずる。また、学校現場に戻り、支援員と言う立場で、子どもたちを日々育てている。そうなろうと思っていたからこうなったのではない。4月に元同僚のN先生からのSOSが届いた。話だけでもと校長室を訪れ、事情を聴いたら、ほっておけない状況になっていた。それが、必然なんだと、私は感じた。だから、この仕事をやることに決めた。4月にはそろそろディサービスに戻ろうかと考えていた。しかし、小学校の特別支援学級に戻った。人生、そんなもんなんだな。
    とにかく、子どもたちのために、大改革を実行した。詳しくは書かない。しかし、まず、私が前に向かって進めることを、委ねられていた。歳を重ねることは、いいことだ。大局のためには、遠慮は要らない。バスバスと断行する。もし、担任が頑固で俺がの融通の効かない先生だったら、こんなやり方はしない。それなりに、相手を立てなかながら、緩く、ゆっくり、ズバッとやる。しかし、私は2ヶ月、つまり、夏休みまでに結果を出して、辞めさせてもらうつもりでいた。その日が、今日だった。しかし、グループホームの面接が無くなり、路頭に迷った私は、校長に、「12月までやらせて下さい」とお願いをした。これもまた、予想外の展開だった。
    それでは、子どもたちは、この2ヶ月で変わることが出来たのであろうか?それが、見事な程に、見違える程に、成長したのだ。子どもは、変わる。ちゃんと愛情を持って、育てる技量と経験を持つ先生が、育てるならば、子どもは必ず、変わる。成長する。だから、もし、子どもが善くならず、成長しないならば、それは育てている先生、あなたの問題なんだと、気付くことだ。
    臨機応変が出来る先生は、柔軟に生きている先生だ。だから、目の前の子どもが、よく見える。よく感じられる。実は、この時、その子の目には見えない何かをちゃんと見つけて、それに対して適時な言葉かけや、指導が出来るようになるために、先生は、人間の修行をする人だ。しかし、大部分の先生は、それに気付かない。残念なことに、その子や親のせいにする。この子が苦しんでいるのは、あなたが担任だからだよ。それが、分からない。
    人間同士。そこにしか、本来の信頼感は生まれない。まず、この子から好きになってもらうことだ。先生と子どもたちに深い信頼感が感じられる時、その学級には奇跡が起きる。子どもの秘めた実力は、そこいらの先生は足元に及ばないすごいものだ。それを、信じられる先生に育てられた子どもたちは、信じた以上に育ってくれる。4月には学級には無かったものが、9月には体現され、当たり前になっている。それが、愛語の力だ。私は、ずっとそれを見て来た。それに感動して来た。それは、事実だ。そして、それが出来る人だけを、先生と呼ぶ。
    では、子どもはどんな先生や親や大人を信頼するのか。それは、その子の善さを本気で認め、その子の力を信じて、時には優しく、時には厳しく、ちゃんと向き合ってくれる人だけに、子どもは全幅の信頼を寄せる。まず、これがお互いに無い間は、教育なんか成り立つ訳はない。「言ったから、教えた」ではない。「変わったから、教えた」なんだ。2ヶ月で、学級の子どもたちは、確かに変わった。成長した。愛語、回天の力ありだ。64歳、この歳で先生をやると、この先生の面白さが、尚更、よく分かる気がした。
    朝、教室に入れなかったりんさんは、今は、「おはようございます」と笑顔で教室に入れるようになった。宿題を提出しないなおさんは、今では毎朝三枚のプリントを提出する。名前を書けなかったみおさんは、やっと名前に見えるひらがなを書けるようになった。(名前は仮の名前)やり残した漢字スキルを最後までやりとげて、りんさんはずいぶん自信を深めた。継続は、偉大な力だ。根気強く、その子を信じて、呼びかけ、やらせ、褒めて、またチャレンジさせる。うまくいかないこともあり、遅々と進まぬこともある。そんな時は、「まぁ、いいか」と、明日に期待する。子どもを信じるとは、そんな細やかな事の繰り返しだ。
    しかし、されど、なんだな。本当に私がその子が大好きで、その子の今は見えないが持っている力を信じて、「あなたなら、やれる」と根気強く向き合うならば、その子は、私の願い、思うように変わってくれる。その「出来た‼️」の瞬間にどれだけ私は、立ち会ったことか。その感動が、私をずっと生涯一先生にさせてくれた。私を私として育ててくれた先生は、私が出会った何百人の子どもたちだ。
    本当に子どもって、素敵なんだ。先生や親や大人は、子どもから学ぶ気持ちを忘れてはならない。子どもは、子どもとしての人間を精一杯生きている。その尊さに、深く深く頭を下げる。そして、その輝きをもっともっと光らせたいと思う。その子は、まだ自分の本来の輝きを知らない。だから、ほらと、その子に見せてあげたい。「すごいね。がんばったね。よくやったね」と褒められ、頭を撫でる。すると、本当にその子は変わる。
    その現場が、学校・学級。教室は、本当は先生の道場なんだ。私は、これまでの人生で、64歳の男性先生に会ったことがない。少なくても小学校では稀有なことだと思っている。しかし、この歳になり、またクマ先生と呼ばれていると、やっと道元や良寛の言いたいことが、分かったような気がする。歳を重ねないと、この機微は分からないものだ。「身心脱落 脱落心身」これで私があると、子どもも私も自由で嬉しい。「教えないことだ」と、いつもそう思う。「気付いて欲しい。」それが、願いだな。
    私は、一筋の道しか知らない。しかし、この道に果てはなく、味わえば味わうほど、深く、面白い気持ちになった。学校に車で行くのは面倒だ。もし、起きて顔を洗っていたら、子どもたちがやっ来る。それは、理想だ。寺子屋だな。だから、人生は、面白い。私は、知らず知らずに、やっぱりその一筋の道を歩いている。
    日々是道場。だな。😃

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