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from: クマさんさん
2007/06/13 05:06:18
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復活の第一歩
月曜日にK先生のお見舞いに行った。
弟子の人と従兄弟の人がお世話をしていた。
じっと一点を見つめて動かなかった。
私に気づいても反応がなかったので寂しかった。
いつもにこやかで、温和な表情であった先生だったが、
今はとても険しい表情で、従兄弟に対して何かを訴えかけていた。
困惑気味の従兄弟の態度に、私はまた寂しいものを感じた。
三回目の脳梗塞だった。
書家からこの病は利き腕を奪ってしまった。
飯の種がなくなってしまったのである。
何十年と修行して積み上げてきた実力が、気がつけば全てなくなってしまったのだ。
しかし、自分は意識は確かで、これからも生きていかねばならぬのだ。
この道を全うするはずの生涯が、利き腕を失い、言葉を失い、
自分の体を動かすことすらままならない障がいをかかえた人生となってしまった。
その心は、絶望の闇の中であろうと思う。
その心を察するだけで、私は寂しく、辛くなる。
思うように行かぬ苛立ちと切なさを、近親者へぶっつけることになる。
それも病のせいなのだ。
私は、先生に手紙を書き、
封筒の中に「山の下納豆」のパッケージを10枚入れてきた。
この「山の下納豆」には、私と先生とだけが知っているある意味があるのだった。
私と先生の人生の転機には、必ずこのパッケージが登場した。
私の結婚式の時、先生は背中にこれをはってエールを贈ってくださった。
私がこれが最後と望んだある試験の朝に、
先生は自転車で私の家を訪れ、その束を私に渡してくれた。
その裏には「粘り強く、粘り強く」と書かれてあった。
私はその先生の気持ちがありがたく、熱い熱い涙が流れた。
当時はまだ紙で今の倍の大きさの赤い色で、万代橋が描かれていた。
病床の先生にそれを見せると、じっとそれをしばらく見つめてから、
声を出して泣き出してしまった。
見舞いに来ている従兄弟には、
いったい何が起こったのかわからなかっただろうと思う。
「山の下納豆」の意味は、私と先生だけが知るものだからであった。
そして、奇跡は起こったのである。
私と従兄弟との目の前で、信じられないことが起こったのである。
「うっ、ううう」と、先生は紙とペンを要求していた。
字を書くどころか、まだペンをもつこともおぼつかないのに・・・。
次に、しばらくひらがなの五十音表を見つめながら、
ノートにマジックで何かを書き出したのだった。
驚いた。私は先生が言いたいことを読み取るために、真剣に見つめた。
ミミズが這うような字だった。
それを懸命に形にしようと格闘しているだった。
書家の先生が、字を思い出し、形を思い出し、それをつなげて一つの文字にしていた。
ペンを持つ手が震えて、字にならないときは、
自分で消して、その横にまた書き出した。
「大ですね。」「これは、電話番号ですね。」「この字は・・・。」
解読する私は、興奮しながら一字一字を読み取って確認していた。
「実家の○○さんに、電話をしてください」
「電話番号は○○・・・」
すごい、実家の電話番号を覚えていた。
「山の下納豆」の効果は絶大だった。
というよりか、やっぱり私の尊敬する先生は偉大な先生であったということである。
先生は、またこれからの人生も私の前を歩き、
その生き様を通して、私に「生きるとは何か」を教えてくれると感じた。
半身不随。障がいをもち、自分の生業である利き腕を失った先生が、
不自由な左手で初めて書いた文字が、
書家K先生の再出発の第一歩だったような気がする。
私は、その全知全霊を賭け、格闘し苦悶しながら書かれた読めない文字が、
とてもとても尊いものに感じられた。
何よりも、人間の奇跡に立ち会えたことが感動であった。
「人間は、凄いのである。」-
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