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  • from: クマさんさん

    2008年07月25日 22時21分30秒

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    昔ながらの盆踊りの復活を

    今朝の新潟日報に昔ならではの盆踊り復活の記事が出ていた。
    我が町内の誇りである、堀川久子さんの活動の結果がこの記事なのだった。
    彼女は、7年前から昔ながらの盆踊りにこだわってきた。
    それは、舞踏家としての興味・関心だけでなく、
    ただ只管人が忘我として踊るその姿に魅了されてのことと思っている。
    踊りとは、原初的な人間の姿と出会える場ではないだろうか。
    盆踊りの原点には、踊りの原点そのものが存在する。
    私の勝手な解釈であるが、
    それが彼女の盆踊りフリークの原点ではないだろうか?

    新大の学生と地域の人たちと共に、
    内野での盆踊りの復活に賭けてきた。
    地域の人たちに呼びかけて、賛同者を募ってきた。
    「なぜ、今頃になって盆踊りなのか?」
    そんな思いを吹き飛ばす力は、彼女にはあるのだ。
    「やりたいんです」
    突っ走る彼女からは、きっと炎が見えたことだと思っている。

    「新潟甚句は、樽の音だけでやっていた」
    「踊りはもっともっと野趣に溢れ、自由なものだった」
    「歌詞はエッチで、歌い手の心が即興に表現されたものだった」

    大民謡流しに象徴されるように、
    きれいに、美しく、見栄えのするものにまとめたがるものだった。
    それが、新潟の盆踊りなのだと市民も思わされている。
    しかし、ルーツを訪ねると、本来踊りとは民衆のものだったのである。
    洗練された歌詞と、形の美しく決まった踊りの中には、
    民衆が踊りと共に発散したエナジーが存在しないのである。
    ごつごつとして、荒々しく、時には卑猥で、汗にまみれた盆踊り。
    それを、彼女は踊りの根っことして評価している。

    昔ながらの盆踊りの復活と、内野の盆踊り。
    そこを一人でコーディネートしたのが堀川久子だった。
    その熱意と情熱と、戦い続ける姿勢に敬意を表する。

    しかし、彼女の口から市行政サイドの批判を聞くたびに、
    私は、「何が水と土の芸術祭なのだと」と思ってしまう。
    大民謡流しのようにきれいにまとめて、
    美しい姿でアピールするのが、この芸術祭だとしたら、
    全くナンセンスだと私は言いたい。

    この盆踊りのように、新潟の民衆は「水と土」の中でしたたかに生き、
    水と土の中にしっかりと根をはってきた芸を培い、受け継いで来ているのである。
    それを、土と水のいわれも、わけも分からない某が、
    勝手に中央集権のようなイベントを創りだそうとしているのである。

    そうかなぁと、私には大いに疑問である。
    堀川久子さんがやってきたこの昔ながらの盆踊りの復活こそ、
    「水と土の芸術祭」には最もふさわしいのではないだろうか。
    水と土に生きた農民たちの叫びとあるがままの生き様とが、
    この盆踊りには伝えられているからである。

    どうしてこんなことが分からないのか?
    市長さんにも手紙を送りたいと思っている。

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