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  • from: クマさんさん

    2008年12月28日 12時04分48秒

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    平凡な生涯にドラマあり

    シネウィンドで上映されている映画
    「石内尋常高等小学校 花は散れども」
    「接吻」
    この二本と2008年の今に出会えたことを感謝する。

    花は散れどもでは、涙が流れっぱなしであった。
    かって「仰げば 尊し」で感激したように、
    私は今でも市川先生の姿が心に浮かぶ。
    ひょうひょうとして、温かく、人間臭くて、子どもが大好きで、
    「うそはつくな」「正直に生きろ」「がんばれ」
    信念をもって子どもたちに語り、
    子どもたちの心に生きていくための大切な何かを伝えていた。
    大正時代の尋常小学校にはそんな先生が存在していた。

    95歳になった新藤兼人監督は、
    どうしても自分の担任であった市川先生のことを映画にとどめておきたかった。
    車椅子で自分では立てなくなった今、
    役者と遠くはなれて演出する自分のことを監督は語っていた。
    「遠く離れてみて見えるものがある」
    市川先生は、一生一教師として生きた人だった。
    退職後は勤務した石内小学校の校庭の前の家を借り、
    晴耕雨読の生活を送った。
    「子どもたちの声が聴こえる場所」から先生は離れたくなかったからだ。

    教え子であり、級長をつとめた優秀な子でありながら、
    赤貧の中で高等科を終えると広島へ出て行った新藤さん。
    売れない脚本家として東京で悶々とした日々を送っている。
    昔好きだったが言い出せずに分かれたままの副級長の女の子は、
    地元の料亭の女将になっている。

    先生の退職をお祝いしての同窓会の席で、
    二人は再会する。
    彼女には子どもが無く、
    旦那は修行と称して大阪で女と共に生きている。
    そんなことを知り、そして今でもお互いに好きである気持ちを知る。

    新藤さんは、そんな自分の淡い恋についても映画の大切な柱として描いていた。
    私はこの若き日の新藤さんを演じた豊川悦司が好きなのだ。
    そして、女将は大竹しのぶ。
    それは、私自身の恋でもあった。

    さて、市川先生は最後は脳梗塞で体の不自由がきかず、
    言葉を話すこともままならない状態になった。
    教え子である二人は、
    二人の間に生まれた5歳の女の子を連れて見舞いにやってくる。
    先生は「海が見たい」とわがままを言う。
    教え子は、その願いをかなえたいと想う。
    この時の砂浜でのシーンが美しすぎる。
    教え子は師を背負い、砂浜を歩く。
    私も父のことを背負いたくなった。
    そして、いつか私も長男や次男の背中にばんばされて歩く日が来るのだろうなぁと思った。

    突然先生は歩くと言い出す。
    彼は師の両手をとり覚束ない足取りの師を助ける。
    一歩一歩歩きながら、
    そうやって師によって人生の歩き方教えてもらった恩返しをする。
    ふと足元を小さな蟹が横切っていく。
    「おい、どうして蟹は横にしか歩かないのか?」
    「先生、それは生きているものはそれぞれの歩き方でいいということだと思います。」
    「そうだな。」
    それぞれがそれぞれの歩き方で人生を歩く。
    それは、先生の生涯の応えであり、
    教え子への励ましでもあったはずだ。

    先生は亡くなった。

    私は映画が終わって外に出た。
    映画についての新聞記事が貼ってあった。
    新藤さんのインタビュー記事だった。
    私はその記事を読みながら、
    嗚咽をこらえるのに必死だった。
    「偉大なる平凡な生涯」を描きたかった。
    監督は死ぬまでに恩師のことを絶対に映画に描きたかったのだ。
    それは、監督が後世に残す偉大なる平凡なる生涯のメッセージだった。

    教科書以上のものが先生にはあった。
    それはのちになって考えると、
    先生の「人格」であったが、
    少年の胸には先生の体から発する「光」のようなものであった。
    道徳や正義や友愛が光の中でピカピカ光っていた。(略)
    その思いを、思い出しながらシナリオを書いた。
                新藤兼人 創作ノートより

    「接吻」
    あのラストシーンの衝撃は、
    (体が本当にガタガタと震えて止まらなくなったのだ)
    「ダンシングインザダーク」と「カッコウの巣の上」のラストシーンに匹敵するものだった。
    「何だ、これは・・・」
    小池栄子の存在感はすごかった。
    私たち観客が度肝を抜かれてふらふらとしている瞬間、
    場面は暗転し、「接吻」という赤い文字がスクリーンに焼き付けられる。

    確かに、これは・・・。今もその衝撃の余韻の中である。

    年末年始、この二本は映画と出会いたい人には是非薦めたい

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