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  • from: クマさんさん

    2010年05月16日 18時19分05秒

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    老子


    本日宿題が山ほどあるために、家での休日。
    しかし、腰が痛い、痛い。
    本当に懲りない男である。

    何のために生きているか。
    そんな大それたことではなくとも、そんなことを考えてしまう。
    父は80歳になった。
    歩くこともできる。ボケてはいない。食事もしっかりとっている。
    私が父の年になるためには、後28年間必要なのだ。
    それまで生きられるかどうかは分からないとしても、
    せっかく生きたのだから、何かの役に立てたらと最近思っている。

    自分のためでないことが、一番自分のためだったりする。
    「無私」という言葉がある。
    老子いわくそれこそ「タオ」「徳」の道なのだ。
    そして、その目に見えず、音に聴こえず、触ることもできない世界。
    それが、在るもであり、全ての根源であり、命の源なのである。
    宇宙の始まり。
    ヨハネ伝の「初めにことばがあった。ことばは神とともにあつた。ことばは神であった」のことばなのである。

    その「はじめ」「一」なる生き方とは、
    この殺伐たる競争社会の中にあって権力と地位と名誉を重んずる人たちには、
    とうてい理解できない「愚かな」生き方なのである。
    しかし、「降りてしまった私」にとっては、
    その「愚かなる生き方」が、とても安らぎなのだ。
    そして、そうだからこそ、人のことを考え、何かをしようと想えるのである。

    不思議なのだが、本当の人の幸福に至る道は、
    現代の人たちが追い求めている道とは、両極のところに存在しているかもしれない。
    しかし、欲があり、自意識があり、見栄があるから、
    なかなかその「捨ててこそ」の境地には到達しないのだった。

    老子を読むと、良寛さんを思い出す。
    孤なる道に真理あり。
    本日夕方ほんぽーとに行き、老子を読んだとたん、
    やっぱり書かずにはいられなくなり、
    この掲示板を書いている。
    「老子」御一読あれ。

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