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  • from: クマさんさん

    2010年11月05日 06時02分59秒

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    ただ今のマイブーム

    昨日、久しぶりにカレーを作った。
    帰りに店によって豚肉とカレールーを仕入れた。
    台所にある野菜を使って、さっそく調理を開始した。
    実は、私は料理が好きなのだ。
    大学時代のアルバイトは、主に皿洗いで、
    本格的なレストランの厨房も経験している。
    見よう見まねだが、料理作りの面白さは、そこで開眼したようだ。

    出来あいの味ではなく、必ず何かしらの冒険を行う。
    それが吉と出るか凶と出るかは、微妙なさじ加減なのだ。
    肉と野菜とを鍋の中で十分に炒める。
    玉ねぎが飴色なるまでじっくりとやる。
    ニンニクを刻んで炒めなかったことは失敗だった。
    バターやオリーブオイル、バジルも隠し味となる。

    水の量はきちんと図る。
    それがカレーの適切なとろみと味とを保証する。
    カレースープにはしたくないのだ。
    ここからが勝負である。
    とろとろと煮込みながら、砂糖・醤油・ケチャップを入れて味を調える。
    「理に適って調える」それが「調理」の意味のようだ。

    その「理」は確かに存在するのだ。
    「旨い」と言えるその味は、私たちの体にDNAとして記録されているかもしれない。
    その「味」を求めての挑戦の旅が料理なりだ。
    この味と言う字も味のある字である。
    「未だ口にしていない」そんな意味があるのかも知れない。
    「これだ」という味を探究し、創りだすことに料理の醍醐味があると思う。

    出来あがったカレーを味見する。
    「これだ」と想う時もあり、「これか・・・」と想う時もある。
    素人の私は、ある意味偶然の勝負をしているのだ。
    同じ味を作れない。
    そこに本職の職人技と素人の技との違いがあるのだ。

    私にとっては、今回のカレーはなかなかの作品であると想っている。
    あるレベルまでは達した味だと自負している。
    しかし、料理とは、食べる人があっての存在価値なのだ。
    妻と子どもたちにとって、この初めての味をどのように評価するか。
    そこが料理人親父にとっては、緊張の瞬間なのだ。
    しかし、言葉なく食べる。おせいじの一つもなし。
    これもまた料理人親父の修行でもあるのだ。

    しかし、こうして親父が厨房に入って腕を振るえるようになったのは、
    母が病気になり、夕食を作れなくなったからだった。
    母は、私が台所に立っている姿をどう感じているだろうか。
    それでも私は台所に立とうと心に想っている。
    料理に対するどん欲な気持ちがむらむらと湧きあがって来ているからだ。

    寝る前に一冊の雑誌を読んでいる。
    「男の料理 基本のき」である。
    ただ今のマイブームは、料理である。
    今晩食べる二日目のカレーの味が今から楽しみな親父だった。

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