サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマさんさん
2011/04/17 07:08:05
icon
人守の家・・・なじら家
ライブ・ライブ・ライブの半日だった。
3つのコンサートはさすがにきつかったが、
体験して学ぶことも多かった。
テレビのフィッシング番組を観ていたら、
「野守の池」という名前の池が出た。
私は、なじら家が「人守の家」になれるのではないかと、
この名前を見て閃いた。
Oさんの津軽三味線のコンサートには、
60代以上のお年寄りだけで20名近く集まった。
初めて参加した人ばかりだった。
Oさんの軽妙洒脱な三味線にかかわるお話を聴きながら、
見事な演奏を堪能した。
角づけをしながら、あの津軽の風雪に耐えて来た音だった。
太棹の響きには、情念が在り哀愁があった。
日本人の魂の琴線にぐっと触れる。
その響きだけで、懐かしい故郷の風景を想わせる力がこの音にはあった。
心が震え、心が鳴ける音なのだ。
私は、高校時代に県民会館で高橋竹山の演奏に出会った。
津軽三味線には物語が在り、怨念があった。
運命と大自然と戦いながら生きている人間の逞しさがあった。
新潟市がとてもとても津軽三味線との縁が深かったことも理解した。
さてさて、なぜ「人守の家」なのか。
介護の話になってから、いろいろとお年寄りの本音が聴けたからだ。
養護老人ホームは、500人近く順番を待っている。
そこでも月に12〜3万円かかる。
個室対応ではなく、大部屋になる。
地域のケアマネージャーに相談しても、親身になって行動してくれなかった例も語られた。
介護保険ができたから、老後は安心と思ったら大間違いなのだ。
認定され、点数が高くならない限り、保険の適用にはならないそうだ。
だから、答えは一つだ。
「死ぬまで、しっかりと健康に自立して生きること」なのである。
寝たきりで人生を終えるのか。
閉じこもりで人生を終えるのか。
それとも、まだまだ達者なまま、仲間と共に楽しんで人生を終えるのか。
それは、一人一人の生き方次第なのかと思った。
だから、なじら家に来てランチを食べればよいのだ。
なじら家の昼のサロンに来て、わいわいと言いながらお茶を飲めばよいのだ。
時には夜のなじら家のカウンターで生ビールと串揚げを食べればよいのだ。
そして、第三土曜日にはコンサートに来て、音楽とトークを楽しめばよいのだ。
地域のお年寄りたちの居場所となる。
そして、地域のお年寄りたちの楽しみの場所となる。
ここに来れば誰かが居てくれる。話し相手になってくれる。
そんな心のペースを地域に持つことは、心の健康にはとても大切なことだった。
だから、「人守の家」なのだ。
そのコンセプトがようやく山ノ下という地域に浸透してきている。
「山ノ下にはなじら家があっていいねぇ」とお年寄りたちが言える日は、
そう遠くないと昨日のコンサートの司会をしながら私は感じた。
人の幸せな生活のためには原発はいらない。
コメント: 全0件