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親父たちよ

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  • from: クマさんさん

    2011年10月18日 06時02分07秒

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    同情する人に

    親父たちよの本質は何だったか。
    やっぱり我が家の出来事だった。
    たった我が家の出来事なのに、どこかで誰かの共感を感じた。
    人は、実は一人ではないのだ。
    同じ想いや辛さを感じて生きている人は、
    この世にはたくさん生きている。
    ああーっ、同じ気持ちで今日を生きている人がいてくれる。
    それだけで、何だか救われた気持ちになる。

    次男がテストだった。
    全く日頃勉強しない彼にとって、このテストは越えるハードルが高すぎる。
    分かっていても、やる気が起きない。
    それは、学校での学習に困り感をもっているためだと思っている。
    そんな彼をじっと見守る。
    どう声をかけたやったらよいのか、親父として考える。
    「勉強しなさい。」では、意味がなさすぎる。
    やっぱりここでは、励ましだろうと、私の目線を次男に下げる。
    すると、彼の痛みや切なさが見えて来る。
    「頑張れ。」ではなく、「頑張っているなぁ。」だった。
    「何やっていだ。」ではなく、「大丈夫らて。」なのだ。

    彼が、勉強する部屋に向かって祈ったりする。
    ジョギングの途中に私を待つているお地蔵様には、
    家族一人一人のために祈っている。
    もちろん世界の平和は必ずお祈りするが、
    やっぱり家族のことが私の根源なのだ。
    家族に支えられて生きている。そんな気がしている。

    昨日、村上でバイク事故に合い、九死に一生を得た先輩のお見舞いにR病院に行った。
    彼は、これが二度目のバイク事故である。
    首にギプスを捲き、足には痛々しい傷がまだ残っていた。
    私は、疲れ切っていた。
    これから、ある決意を伝えにある場所に行かねばならなかった。
    寂しくもあり、悲しくもあった。
    彼がベットに体を起こし、事故や家族のことを話してくれた。
    沼垂山小屋のカウンターの友だった。
    第1回の「王瀬の長者」の脚本のデータを求めていた時、
    「その話、知っているよ。」と声をかけてくれたのが彼だった。
    既に10年の月日がたっていた。

    その痛々しい姿に、私の心の姿と同感した。
    だから、何だか彼と病室に居るだけで、私は癒されてしまった。
    人が、人から救われる時は、分かってもらえた時のようだ。
    それは、相手の悲しさや痛み、辛さを自分のものにしてくれる人が、
    傍に居てくれることなのだと、やっぱり分かった。
    同情という言葉がある。
    それは、決して上からの目線ではなく、共に想い哀しむことではないだろうか。
    私は、次男に同情を感じ。彼に同情を感じた。

    その同情を感じられないことが、人は最も寂しく、悲しいことだと体験を通して私は分かった。
    だから、私は、同情する人になりたいと想う。
    目には見えないが、心の奥底にある悲しみや痛み、孤独感に、
    私は同情できる人になりたいと想った。

    ここに人が人を救える道があるのではないだろうか。
    願わくば、「同情」する人に、出会いたいものだ。

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