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  • from: クマさんさん

    2011年12月30日 13時43分14秒

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    大山台の古代ロマン

    みんな今日は何をしているのだろうか。
    家の仕事で忙しいのだろうと思う。
    さっき気分転換に大山台に登った。
    そこから改めてこの周囲を見渡すと、なかなかの眺めなのだ。
    沼垂の柵があり、そこには官庁の建物があったはずだ。
    そこで朝廷から使わされた役人たちは、
    同じ視点から、この風景を眺めていたのかもしれない。

    王瀬の向こうには大河である阿賀野川が滔々と流れていたはずである。
    その対岸には、水田が広がり、多くの潟が満々と水を湛えてあったはすだ。
    古くからの集落に、古志や信濃から移住してきた人たちが新たな集落を築き、
    潟を埋め、用水路を作り、新田開発をしていたのかもしれない。

    河渡には、王瀬続きの大きな集落があり、民の代表が治めていたかもしれない。
    渡し船で対岸に渡ると、そこには上・中・下の木戸の集落があり、
    それぞれが開墾し、田畑を広げていたかもしれない。
    中地区のそれからの長い長い歴史の原点は、
    この山ノ下に大和朝廷の支配が及んだ頃から、営々と続いているのである。

    沼垂の柵は、阿賀野川と西川との合流点に位置し、
    河川における交通の要の地域である。
    この地を押さえた者は、交易の権益を手に入れ、特権的な力を誇示することができるのだ。
    日本海側の北方に向けての蝦夷との交渉に向けて、
    大切な前線基地としての役割も果たさねばならなかった。

    また、中国・朝鮮半島と大陸との交流・交易の拠点ともなれる地理的な位置にあり、
    環日本海の交易のためのはハブ湊としての価値もこの地にはあった。
    つまり、当時の朝廷にとっては、なくてはならない場所が、この大山台だったのだ。
    ここに立ち、周りの風景を見渡していると、古代のロマンに誘われる。

    新たなる日本の夜明けと共に、朝廷が北の蝦夷たちと契約を結ぶための大切な一歩は、
    この山ノ下から始まったのだ。
    私は、勝手にそう想っている。

    ぜひ一度大山台を訪ねて、あの展望台に登って欲しい。
    すると私が言っていることがまんざら嘘ではないことを分かってもらえると思っている。

    これから、大掃除パート2である。

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