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from: クマさんさん
2012/07/12 16:45:29
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82歳の自立生活
昨日、父がK病院を退院した。
医師から、これ以上リハビリをしても効果がないので、自宅での療養を勧められたからだ。
年寄りは、どこでも居場所がなくなっているようだ。
病院もベッドを開けるために、長期の入院はさせないのだった。
もし、行き先がなかったら、どこへ行ったらよいのだろうか。
退院の朝、叔母たち5名が病室に集まってくれた。
父は、自分が退院するなどとは、思ってもいない不機嫌な顔だった。
突然叔母たちに向かって怒鳴り出したので、
叔母たちには、食堂で待ってもらうことにした。
父は、やっぱり少々情緒不安定なようである。
私は、施設の部屋の迎え入れ準備に叔母と二人で行った。
ベッドメイクをして、布団にはカバーをかぶせた。
ベッドの位置を変えてもらい、敷物を敷いた。
32型のデジタルテレビを箱から出し、設置した。
全部、日曜日に妻と一緒に買ったものばかりだった。
必要なものは、生活するうちに出て来るだろう。
だから、必要最小限のものだけ揃えることにしたのだ。
父は、車椅子で駐車場まで来た。
父はやっと立ち上がり、車椅子から車の後部座席に乗り移ろうとしていた。
「自分で歩けるんだから、自分の足で立ちなさい。」付き添いの看護婦さんは厳しかった。
しかし、これからの父の生活にはこの厳しさが大切なのだと感じていた。
あらゆること全てを母に頼り切って暮らしてきた父だった。
ただ黙って座っているだけで、生活が足りたのだ。
動く気も無く、やる気も無く、ただぼーっとテレビだけを観る生活だった。
その父を人間らしくするために、せっせと母は働き、父に声をかけていた。
父は、何もしなくとも生きられた。
しかし、そのことが父を堕落させ、自立できない人にしてしまったのかもしれなかった。
母が居ての父の幸せだった。
父は、母が居なくなってしまった今、文字通り途方に暮れているのだった。
我が家へ帰る道を見失った、迷子のようものだった。
しかし、父の場合は、迷子になっても迷子になったまま、何も困らないのだ。
何故ならば、もう我が家に帰る気がないからだ。
部屋はとても快適な環境だった。
冷蔵庫・流し・レンジ・トイレもついている。
独り暮らしには十分なスペースも確保されている。
ここが父の終の棲みかとなるはずである。
母もきっとここに一緒に暮らしてくれていること信じている。
父は、初めて自分が暮らす部屋に入り、ベッドに横になった。
しかし、父にとってはこれはどうでもよいことなのである。
「兄ちゃん、ありがとう。」
寝ながら、父は私に向かって手を振った。
月間17万円位はかかるようだ。
部屋の電気代は、個人負担だった。
さて、本日は二日目の父だった。
さっき部屋を訪ねたら、ペットの上で横になってぐっすりと眠っていた。
夜中に眠られずに、テレビを観ているのだそうだ。
顔を見たら落ち着いた顔で、久しぶりに元の顔に戻った気がする。
ただし、何も語らず、俯いたままで、感情を表現しなかった。
「また来るよ」と言って、私は部屋の扉を閉めた。
父が生まれて初めて家族から離れて自立の生活を始めたのだ。
82歳の自立生活。
さてさて、父はこの生活からいったい何を学んでくれるか、期待はすることにしている。
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