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from: クマさんさん
2014/03/04 05:56:35
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バタフライを泳げたぜ
さてさて、迷いの中でも生きている。
そんな日々を何とか生きる。
荒波の中を生ききるためには、やっぱり力を抜いて浮かぶことだ。
その力の抜き方の修行が続く。
先日、水泳コーチのJさんが来てくれた。
一緒に下山のプールに出かけた。
そこで、また丁寧で親切な水泳指導をしてもらった。
泳ぎながらふと思った。
水に浮く感覚が、だんだん自分のものになっていた。
無理に力を入れると、その部分が沈む。
ただ身体全体で浮力を感じて浮いていると、自然に前に進むものだった。
曲がったとこがあると、そこが水の抵抗となる。
真っ直ぐに身体を伸ばす。
クロールの手のかきもそうだ。
入水の時はしぶきを上げない。リカバリーも手のひらから水滴を滴らせる。
その指摘する言葉一つ一つが生き方に通じていた。
Jさんは坐禅の人でもあった。
40分間の座禅を三本その日もやっていた。
「自分が出てくるから困るんだ」と、いつも笑顔で語ってくれる。
「仕事中に自分が出るうちは、まだまだだね」とも言う。
二人して共通することは、この年になり自分をどう捨てるか考えていることだった。
やっかいなのは、この自分だった。
怒ったり、腹を立てたり、哀しんだり、悲観したり、さまざまな感情に支配される。
それは、自分という自分がそこに存在するからだった。
やっぱり自分が可愛い。そして、自分を人からはよく見て欲しい。
そんな我執・我欲から、人の言葉や評価に一喜一憂する自分がいる。
しかし、その自分が出てくると、沈んんでしまう。
それもよく分かっている。
あの水に浮く感覚なんだ。
自分の重さを消して、水の浮力に全てを委ねる。
そして、無心になって泳ぐことを楽しんでいく。
うまく表現はできないが、泳ぎと人生とは共通するものがあるらしい。
元々人は、母の胎内で羊水の中で生きていた。
泳ぐとは、その原点まで人が還ることでもあるかもしれない。
泳ぎながら、生き抜く感覚を自らに養っていく。
やっぱりどんなことでも修行すれば、深いものだと思っている。
生まれて初めて、バタフライで25mを泳げたクマでした。
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