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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2014年10月23日 06時04分54秒

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    小千谷、山古志に学ぶこと

    中越地震から10年目の朝を迎えた。
    亡くなった人たちのご冥福を心から祈りたい。
    当時10歳の長女を亡くしたHさんの話が新聞に載っていた。
    救ってやれなかったことのやるせない気持ち。
    その深い深い悲しみは、その当事者にしか分からないのだろうと想った。

    私は、その日には小6の長男のサッカーの遠征のために、長野の菅平に居た。
    牧場で牛を見ながら、霧の中でのサッカーの応援だった。
    揺れた揺れた。しかし、情報とはすぐには伝わらないものだった。
    まだ携帯もそんなに普及していない時代だった。
    私たちは中越で起こっている惨事を知ることができなかった。

    小千谷のSさんの自宅は、川の氾濫により浸水していた。
    今は、こうしてSさんとはよく連絡を取り合い、
    「途中の会」と称する、謎の会を開催する関係になったが、
    当時の私にとっては、小千谷は遠い土地だった。

    越後川口は震源地であった。
    集落の7割の家屋が全壊や半壊であったそうだ。
    町が無くなり、多くの尊い人命が失われた。
    しかし、私はニュースで知るだけで、そこに駆けつけるわけでもなかった。

    山古志は山が崩れ、谷に村ごと流されて、全村・全住民の避難だった。
    今でも谷に埋もれている家屋があると新聞は伝えている。
    しかし、山古志は、「山古志に帰る」を祈願として、それを実行した。
    そして、山古志には、復興してから数年たった今年、
    私は、行って、その復興の陣頭指揮に立ったAさんのお話を聴くことができた。

    地震の日、私は中越から遠い遠い長野の菅平だった。
    今は、新潟市に住んでいる。
    しかし、小千谷に「途中の会」で通うようになり、
    山本山からの絶景を見ることで、小千谷が不思議と私の魂に入ってきた。

    山古志もそうだった。
    初めて訪れたはずなのに、そこは懐かしい故郷のように、
    私にとっては原風景のように感じられた。
    「ここに住みたい」と、そんな願いももってしまった。

    地震から10年たった日。
    遠い長野に居た私が、今では小千谷と山古志とに憧れて暮らしている。
    そして、この町や村での復興こそが、
    都市部での過疎化した町を復活させるための先行事例だと私は想っている。

    私たちは、小千谷や山古志の人たちに学ばねばならない。
    そのことを、Y通信には書いて、3年間のコラムに幕を下ろそうと考えている。

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    waka

コメント: 全1件

from: wakaさん

2014年11月04日 11時29分21秒

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あの逞しい行き方から学ぶことは大きいですね

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