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from: クマドンさん
2014/11/08 06:00:57
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侘しいと寂しい
しょせん人は、独りだ。
その独りであることから始めていく。
そこには、確かに侘しさと、寂しさである。
その中で、私は誰かと対話を始める。
独りであっても、やっぱり語りたいと願うからだ。
人間は、生まれ変わるためには、いったん死ななくてはならない。
そう言われて、やっぱりそうかとも想っている。
毎朝、職場の畑でブロッコリーの葉っぱを食べつくしている青虫たち。
彼等は、青虫になるためにこの世に生を受けたのではない。
彼らは、いったん蛹となり、死ぬことによって、
その生の使命を全うする。
時期が来たら、何だか切腹をする武士のように、
従容としてその自分の定めに従い、蛹となる。
後は、知らない。
そうした意味での死は、やっぱり人間にも必要なのだと想う。
特に私のように弱く、愚かで、まっとうな道を生きられなかった者には、
その人生から学んだものを、自分としてこの人生で生かすために、
やっぱり、大変身が必要な気がする。
独りで生きる。
独りでも生きられる。
そんな覚悟のようなものが、人にはとても必要だということだ。
ただし、ここからが大事なことだが、
独りとは、他者の独りと深く深くつながるための独りなのだということだ。
独りであることで、独りであることの侘しさと寂しさとを深く感じている。
それは、生きる者全てに与えられている宿命ではないだろうか。
かの松林の野良猫は、この寒さの朝も震えながら独りに生きる。
人は、しょせん独りなのであり、独りからしか生きられないんだ。
私は、いつも「独」という文字が、「けもの」と「虫」で成り立っているのか、
不思議に感じていた。
でも、自然の中に入って、その中を独り黙々と走っていると、
やっぱり全てのいのちは、独りなんだと教えられた。
樹は独りで立っているんだ。
しかし、独りであるように見えながらも、
本当は生かされるという視点からすると、
その一つ一つのいのちとは、深い深いで繋がり、
その恵みによって生かされていることがよく分かる。
どのいのちも、独りでなんか絶対に生きられないからだ。
その深い深いに還ればいい。
その深い深いに還るための途中が、この独りの切なさ、寂しさ、哀しさなんだ。
見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮 藤原定家
花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや 藤原家隆
無くはない。
「姿形がいかに寂しく侘しくとても、心中には常に、
燦然と輝くものがなくてはならない。
すなわち、精神文化を大きく要求しているのである。」
独りであることから、侘びと寂とに少しでも近づけたら幸せだ。-
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コメント: 全1件
from: wakaさん
2014/11/15 22:37:56
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名句ですね。
日報に投稿したらどうですか?
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