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from: クマドンさん
2014/12/19 06:10:55
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また逢おう、大門道子殿
毎週楽しみにして録画してまで見ていたドラマ、
「ドクターX」が昨夜最終回だった。
「群れや権威を嫌い、医師としてたたき上げの腕だけを頼りに・・・」
そんな田口トモロヲさんの「プロジェクトX」ばりのナレーションで始まるドラマ。
何故か、大門道子に心惹かれ、魅入ってしまう私だった。
「いたしません。」その潔さと自信とがいい。
「私、失敗しませんから。」そして、本当にどんな難しい手術も成功させてきた。
「その患者、私の患者だから。」患者に対する深い愛情と使命感をいつももっている。
「フリーランスの医者」として、組織の中に在っても自由に生きる立ち位置をもつ。
彼女がもし大病院の医局に所属した医師であったら、
そのトップに立つ教授に対しては絶対服従の縦社会の中の一人の存在にすぎなくなる。
その時、彼女には医師でありながら意志はなく、
自分の考えや想いを主張することもできなくなってしまうはずだ。
ただ、組織の中の一人として、優秀な医師で一つ一つ階段を上るしかなかっただろう。
その集団の合言葉こそ、「御意」だった。
しかし、この社会において、この「御意」がいかに蔓延しているか。
それは、さまざまな組織に属して、生きている私たちはよく分かる。
そうするしかこの仕事を続ける道はないかのように、
自己主張を少しでもすれば、それが反旗を翻したように見られるかのように、
こんな人の下ではやっていけるかと反発しつつも、
そのことを上司が感じたら、どこか知らない土地に飛ばされてしまうかのように、
いつもいつも上司の命令を「上意」として、絶対服従しなくてはいけないかのように、
自分を捨てて、自分を殺して、自分があたかも居ないかのようにして、
その組織の中で生息しているのだった。
「いたしません」の反対語が「御意」なんだ。
さて、問題です。
組織の中で生かされている私は、いったいどちらの人なのでしょうか。
しかし、これはとても難しい問題だと私は思っている。
組織は、「御意」では何も進歩せず、革新とは程遠い、昨日と同じ今日である。
この日々成長し、変化し、競争の渦中にある現実社会では、
そのままではその組織は衰退し、世の中の変化に遅れること必須である。
しかし、「御意」の人たちは、それでもいいのだ。
組織がどうなろうとも、自分の明日の生活が留保され担保されることが望みだからだ。
「御意」には、組織を生かそうとする想いや願いは一人一人には存在しても、
そのことが、集団の思考として上がってくることは決してないだろう。
「よき意見」は、いつもいつも闇の倉庫に葬られていく。
「いたしません。」確かに豪快で痛快な言葉だった。
しかし、その先は・・・・。
大門道子はフリーランスの外科医であり、独身のしがらみを何ももたない女性だ。
彼女には叩き上げの腕があり、医師のライセンスで食っていける自信があった。
彼女の守護神としての昌さんの存在も大きかった。
彼女はあの「メロンです。請求書です。」の天使に守られ、
天衣無縫に羽ばたいて生きている。
よき麻雀仲間も居るし、古アパートの生活も苦にもならない生活感をもっている。
実は、「いたしません」とは、そうした精神の自由をもつ人だけの言葉なんだ。
「御意」で生きるか、「いたしません」と生きるか。
しかし、その全てか無かの選択肢ではなく、第三の選択肢があると私は想っている。
それは、「御意」でありながら、「いたしません」で生きる道だった。
その道とはいったいどんな道なのか、そんなドラマを観てみたいと思ってもいる。
「さよなら大門道子。また逢おう大門道子。」
私は、貴女に惚れています。
コメント: 全1件
from: wakaさん
2014/12/29 12:29:13
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いいですね。
「Nのために・・・」というドラマをもとに論文を書こうとする学生もいます。
中ごくでも2冊に翻訳されているそうです
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