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  • from: クマドンさん

    2016年01月26日 09時51分56秒

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    毎日が木偶の坊だ

    本当に何もできない、何もしていない、木偶の坊な毎日だ。
    お腹の傷のことがあり、重いものを持つことが禁止されている。
    日常生活においても、いろいろと制約がある。
    一番良いことは、達磨のように何もしないで座っていることだ。
    しかし、そうはいかないから、食器を洗ったり、簡単な片付けをしたりする。
    それだけだ。本当に何の役にも立たない木偶の坊となっている。

    昨日、Sさんと電話で話した。
    話せば話すほど嬉しくなり、楽しくなるのはどうしてだろう。
    Sさんのお話しを聴いていると、ふっといろいろなことが思い浮かんでくる。
    そのことを私が話すと、今度はまたSさんの番だった。
    そうしたセッションに終わりはなかった。

    私は、今回の経験から、どこかで自分というものを捨てられた気がしている。
    捨てるとは大げさな言い方だが、軽くなったとでも言ったほうがよいのか、
    こだわりがなくなり、まぁどうでもいいかぁと、想えるようになったからだ。

    こだわりが少なくなると、感情を乱すことも少なくなった。
    水面にさざ波が現れるのは、腹を立てたり、反発したりするからだ。
    何を言われようとも、何をされようとも、
    「はい、分かりました」「ありがとう」とでも想い、
    それを素直にすーっと受け入れて、どこかに流してしまえば、
    それはそれは楽な生き方となる。

    そうした普段の生活の中で、夫婦や子どもたちとの間に、
    このこだわりがなく、はい、と笑顔で動ける関係性があれば、
    とても穏やかに、静かに生活できるという話となった。
    まさに「明鏡止水」だった。

    そのためには、体と心とで落ち着くべきところへ、
    降りて行く必要があるとのことだった。

    体が気持ちよくなる。
    体に聴きながら、体を想い、体を大事にして生活する。
    すると、まず体の方から心地よい感じが生まれて来る。
    それは、雪道を冷たい風に吹かれながら、
    とことこと散歩している時に感ずるものだ。
    昨日はお日様が眩しく、青空に向かって両腕を挙げたら、
    すーっと体が気持ちよく、その青空に溶けていくようだった。

    それでは、心の気持ちよさとはどんなことだろう。
    それは、木偶の坊なら、木偶の坊でいいと今を楽しんで生きることだ。
    何をやったとか、どんなことを残してきたとか、そんなものはどうでもいいこと。
    私が、私がと、自分自身にいつまでもこだわっていると、
    どんどんその人そのものが固く頑なになっていく。
    そんなものどうでもいいよ。みんな忘れたよ。
    そう想う心の柔らかさこそ、私たちの心の平安だった。
    やっぱり求めないことであり、欲張らないことであり、我儘を言わないことだ。

    Sさんは、その体と心との自由を笑顔で日々生活している人だった。
    私には、その自由さと気楽さが羨ましく、
    そうありたいと願いつつ、ここでの修業を日々精進している最中だった。

    ただ、体(欲望)・心(煩悩)と余りにも人間らしいこの二つから解放されたら、
    きっとその時は、ただ人として生まれながらに与えられた仏心だけが、
    きっとここに現れるのだと、今の私は考えられるようになった。
    それがきっと「身心脱落」なのだろう。

    Sさんのそうしたこだわりのない爽やかな笑顔の一日一日の生活は、
    まさにその仏心の表れなんだと、私は思っている。

    目には見えないものこそ、大事なものだ。
    見えるものは、見えないものに触れている。
    聴こえるものは、聴こえないものに触れている。
    感じられるものは、感じられないものに触れている。

    そして、それを見えるように、聴こえるように、感じられるようにしてくれる人が、
    Sさんのようにして、こだわりなくその道を楽しみながら日々を歩く人だった。

    私は、本当に木偶の坊のようにして毎日生きている。
    しかし、だからと言って焦ったり、慌てたり、探したりはしない。
    こうして、今、ここ、私に、与えらてあるもの、それで十分満足だからだ。
    いや、平常な生活そのものがどれだけありがいことか、よくよく分かったからだ。

    Sさんとの話が尽きないのは、
    Sさんはそこで生き、私はそこで生きようとしているからだと、
    改めて想ったものだった。

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