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  • from: クマドンさん

    2016年07月12日 05時41分29秒

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    入院前に

    本当は、入院前の心境をここに記そうと考えていた。
    しかし、やっぱりどこかじたばたしているのか、
    ここに書くことはできなかった。

    最期だと想うと、何だかやっておきたいことがいろいろとあった。
    「五目うま煮麺」を食べ、大威の「担々麺」を食べた。
    妻と一緒に次男の大学で教授の面談を受け、
    その帰りに「椿寿荘」に見学に行った。
    その豪奢な物語にただただ感動だった。
    帰りには「ごまどうゆったり館」で温泉に生ビールだ。
    露天風呂で両足を伸ばして青空を見上げた。
    お腹はふっくらと膨らみ、縦に一文字の傷跡が痛々しい。
    「ここを再び切る」それはやっぱり怖かった。

    もう再びここには戻れないかもしれないなぁと、ふと感じた。
    するとあらゆることが愛おしく感じられる。
    へぇっ、空ってやっぱり青かったんだなぁ。
    私の山小屋の師匠Mさんが、死を前にして書いていた病床日記。
    何気なくそれを手にして驚いた。
    それは、今の私の心境と同じだった。

    人の幸せとは、縁側で日向ぼっこをしているお婆さんと猫のようなもの。
    ぽかぽかのお日様を浴びて、のんびりとうとうとと居眠りしている。
    気持ちいいなぁ。静かだなぁ。何もなくてもそれでいいなぁ。
    死を前にして行きついた心境がこれだった。
    わたしもずいぶんちっぽけになってしまった。
    本当にもう欲はあんまし感じていない。

    土曜日に町内会長さんが我が家を訪ねて来た。
    「M委員になってもらえないか」という打診だった。
    地域のために働くのはやぶさかではないが、
    明日は入院と言うこのタイミングですかと、少し返事を待ってもらった。
    前任者のOさんの所に行き、仕事の内容や年間のスケジュールを教えてもらった。
    もしも、再び手術から蘇ったら、私は一つの生き方を選択している。
    そう生きようと、その後の人生はそこに捧げようと決意している。
    そんな話が向こうからやって来たので驚いた。

    さて、日曜日の礼拝では、「いのちの言葉をもって生きよ」との教えだった。
    私がこうしてまた何十年ぶりに礼拝に参加し、祈ることができるようになったのも、
    ある苦しみのおかげだった。
    神様がまたそんな私をここに呼んでくださった。
    ありがたいことだった。
    もし、私に信仰がなかったら、ここをどう乗り越えたことだろう。
    人は、弱くていい。だから、傍にイエス様が居てくださる。
    礼拝で、私の入院と手術のために全員で祈ってもらえた。
    私は、涙が止まらず、嗚咽する自分をどうしょうもならなかった。

    その夜、32歳のSさんの葬儀が豊栄であった。
    彼は心臓で倒れ、腎不全を起こし、突然帰らぬ人となった。
    子どもさんは、四人。
    みんな小学生と保育園だった。
    子どもたちは彼の父と母とが育てるそうだ。
    どれだけ無念だったことかと考えると、慰めの言葉もなかった。
    人は、死ぬ。
    それも予期せぬときに、その死は訪れる。
    だから、今日を、今を、ここでどう生きるかを全ての人は問われている。

    やっぱり、問うているのは、いのちの方だった。

    私は、怖かった。
    できたら逃げ出したいとも想っている。
    ただし、そこでしっかりといのちは臆病な私に問うている。
    「どうこれを受け入れるか」を。
    Sさんと、電話で語り合った。
    本当にお互いに合点のいく話ばかりだった。
    頭で考えていた時代とは違い、身体でお互いに感じ、心地よさをもとめているからだ。
    言葉は、本来の言葉として、語り合う私たちの心を明らかにして、蘇らせる。
    自分が語りながらも、それは言葉自らが語っているような気持ちになって行く。
    この私の試練は、私にとってはとてもとても大きなターニングポイントだった。

    そして、お互いに人生を振り返ってみたら、
    やっぱり全ては繋がっていたことと、この日のためにあれがあったことを、
    78歳と58歳の二人の男は、改めて確認し合った。
    小千谷のSさんと、新潟の私とが出会ってから16年ぐらいたっている。
    話す度にお互いの気付きを語り合い、新鮮な感動を感ずる。
    「途上の人」
    「途中の会」の二人は、いつもいつもそこを歩いての御同行だった。
    ありがたいもりだった。
    こうして人生の師に出会えたことは。

    そて、月曜日のこと。
    土日をかけてすっかり庭と花壇とをきれいに整えた。
    新たに花たちを植えた花壇は、今は生き生きと花たちの色で華やいでいる。
    手術前に花を植えた。
    もしものことがあっても、この花たちは私の意志といのちとを受け継いで生きる。
    花を観たら、私がそこにいるはずだ。
    「できた」と、日曜日の午後にはある段階で仕事を終わりとした。
    キャプ用の椅子に座ってただ花たちを眺めていた。

    そして、昨日は、体調が絶不調だった。
    喉と鼻の痛みだった。
    身体はだるくて走る気も、歩く気も起きなかった。
    せっかく入院前の最後の一日なのに、私は何もできなかった。
    ただ、お世話になった叔母や叔父には挨拶に行った。
    施設の叔母にも会いに行った。
    みな心から私の手術のことを心配してくれた。
    風邪ならば、手術は延期だろうと喜んでいたら、
    どうやらエアコンによるハウスダストだったようだ。

    昨夜は、酒を飲みながら長男には言わんでいいことを言ってしまった。
    悪い癖だと、自戒している。
    何も入院の支度もせずに。今朝を迎えてしまった。
    ああ、今日が最期の我が家なんだなぁ。
    そこで、やっぱりここに自分の今の心境を書き留めたくて、書いている。
    夏の朝日がもうすぐに大山台の展望台に昇るところだ。
    これから、ゆっくりとジョグをしよう。

    さて、明日からの親父たちよは、Tさん経由での掲載となる。
    病院のベットからのリポートだ。
    また、あの昨年の12月の日々のように。

    私は、今日の9時には病院で入院の手続きをする。
    それからは、手術までのカウントダウンだ。
    その心境は、こんな経験は二度としたくないので、やっぱり書き留めようと想う。
    実は、こんな親父たちよを読んでくれる人がいるとは想っていない。
    ただ、息子たちのために、遺言のつもりで書いている。
    だから、どんなになろうとも、書き続ける決意をしている。
    長くなったので、右の肘が痛くなった。
    さてさて、最期のランに出かけよう。

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