新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2016年08月20日 10時17分54秒

    icon

    ブラボー・シネウインド様

    リアルだなぁと、最近想う。
    リアルなものだけが、心を打つ、心に響く。
    涙とは、そのリアルとの出会いだった。
    涙を流すことが多くなった。
    オリンピックの闘い終わっての選手の歓喜と涙を見て、
    いつもいつも泣かされている。
    涙を流せることは、幸せなんだと、そんなことを感じながら。

    「花、香る歌」

    韓国のパンソリを女性として初めて歌ったチェソンとその師匠ジェヒョンの生涯。
    ラストの純粋で一途な二人の想いに、涙が止まらなかった。
    命かけで幼い王の前で歌うチェソン。
    ここで優勝しなければ、彼女と師匠の首は刎ねられる。
    それでも、彼女は歌うことを許されるために、王の前に出る。
    彼女は師匠を想い、師匠は彼女を想い、2人は見つめ合って花の想いを歌う。
    そして、彼女たちは優勝するが、
    宰相に見初められた彼女は、宰相の傍に残されることとなる。
    2人はお互いの深い深い愛を悟った。

    純粋なる魂の物語を、私も物語りたくなった。
    魂を語るのは、真実なリアルな物語だけである。
    魂は、作り物にはけっして宿らない。
    魂が宿る物語には、独特の空気感があるものだ。

    どこまで男と女とは純粋に一途に愛することができるのか。
    それは、見つめることであり、憧れることであり、歌うことだった。
    本当の歌とは、その魂からしか生まれないものではないだろうか。
    純粋に一途に歌う時、歌うのは彼女ではない。
    彼女の中で目覚めた魂、死者たちの歌声になる。
    だから、私の魂も震えて、ただただ涙する。

    私も、物語を語りたくなった。
    リアルなものだけが、心を打ち、心に響き、涙がそれに感応する。

    「ふたりの桃源郷」

    大事なことは、人は、老いて、死ぬという事実だ。
    だから、人は、どう生きて、どう死んだらいいのか考える・・・・はずだ。
    私は、父と母の老いと死によってそれを認めた。
    自然とは、かくあるものだ。
    いつか私もアディュと手を振り、ありがとうと去って行く。
    そんな自然な生き場所を、二人の父と母は、山奥の畑と田んぼと廃屋に求めた。
    25年間の記録は、人が生きて、老いて、衰えて、死んでいく記録だった。

    それをたくさんのお年寄りたちが見つめていた。
    前に座った老婦人は、ハンカチで涙をふいてばかりいた。
    ここの映る父と母の顔が、私の父と母の顔にダブった。
    きっとこの人も、老いた父と母を介護して、見送ったことのある人なのだろう。
    この映画館に集まった人たちは、みんなここに描かれた二人の生涯を、
    自分の父と母のこととして、きっと思っていたはずだった。

    「おお、どうしょばね。」
    「ほれ、難儀げらね。」
    後ろで観ている年配の女性の会話だ。
    黙って観ていられないほど、この二人の生活はリアルに伝わって来る。

    山暮らしできなくなった二人は、里の特別老人ホームに入居する。
    昼間テレビと炬燵の生活に耐えられなくて、車で山に帰って農作業をする。
    山の中でのんびりと風呂に入り、2人で缶ビールで乾杯する。
    おじいちゃんに癌が見つかり、入院する。
    それでも、退院したら子どもたち家族が二人を山に連れて行く。
    三女の夫婦は大阪の寿司店をたたみ、ホームの近くに住み、
    2人で畑をまた耕し、父と母とが開墾したこの場所を再生させた。
    その三女夫婦も60歳を越し、夫に癌が見つかった。

    おじいちゃんは、92歳で亡くなった。
    遺されたのばあちゃんは、認知症が進み、おじいちゃんが亡くなったことも忘れた。
    山の畑に連れて行ってもらうと、おじいちゃんを心配する。
    どこにいってしまったのかと、「おじいちゃん」と森に向かって呼びかける。
    ここは、2人が生きた場所。
    ここで2人は助け合い、支え合い、話しながら、年をとった。
    2人は、どんなに子どもたちから促されても山を下りなかった。

    この二人の気持ちが、何だか分かり過ぎるほど、感じられた。
    「生きるって何だろう。」
    「夫婦って何だろう。」
    「親子って何だろう。」
    「老いるって何だろう。」
    「死ぬって何だろう。」

    私は、そのことを思い悩みつつ生きて来たようだ。
    そして、この二人に出会ったら、
    「ああ、そうだったんだ。これでいかったんだ。」と、腑に落ちた。
    大事なことは、私自身も「生涯」を考えることなんだ。
    そして、考えたまま、魂の命ずるままに生き切るということなんだ。

    2人は、見事に生き切った。
    そして、この映画は見事にその二人の生涯を記録しきった。
    死は、けっして終わりではない。
    私は、切なくなり、無性に亡くなった父と母と会いたく、会いたくなっていた。
    「おとうちゃんと、おかあちゃんに、会いたいなぁ。」涙、涙、涙。

    魂のリアルだけが、傑作の物語と生涯とを語るものだ。
    そして、それは全て死者の語りでもあった。
    その声やその歌声が聴こえるだろうか?

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件