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  • from: クマドンさん

    2016年12月22日 16時57分44秒

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    祝ファイナル決定 太威のカレー担々麺は魂の拉麺

    さてさて、昨日、車の定期点検だった。
    牡丹山のホンダにお願いしている。
    そうだ、太威がここからすぐ近くだった。
    そのことに気付いたら、何だか何とも担々麺を食べたくなった。
    逢いたくなる味だ。

    私は、ホンダの人に車を頼んでから、てくてくと歩いて店に向かった。
    心は、少しどきどきしていた。
    それは、コマチのラーメングランプリの代表に選ばれたかどうか、
    その結果を知りたかったからだ。

    いつもの「いらっしゃい」と笑顔に迎えられてカウンターに座る。
    この席は、目の前に厨房が在り、店主と親しく話せる位置にある。
    「どうだった?」
    「1位で通過しました」
    「そう、よかった。おめでとう。いよいよファイナルだね」と、
    私は、ジーンと何だかとても嬉しくなった。

    ここにも鹿島が居た。
    きっとこの店主が創る魂のこもった担々麺は、
    奇跡の優勝をとげるに違いない。
    何だかそんなこんなを考えながら担々麺を待っていた。

    担々麺が来た。
    こってりとしたスープにラー油の色と味とがしっとりと沁みている。
    まず、スープを蓮華でいただく。
    「美味い。これだ。これだ。」
    不思議なのだが、どうして美味いものを食べると
    「これだ」と感動するのだろうか。
    本当に理屈無しで、美味いものを口に入れて味わった途端、
    身体が「これだ」と喜ぶものがある。

    次に、麺をいただきながら、少しずつ生のおろしにんにくをスープに沈める。
    そして、少し練った辛子もそこに添える。
    「深い」
    味が何だかいっそうまろやかに、深みを増して、落ち着いて来る。
    すると、いつものように、担々麺が語りだす。
    私は、スープと麺の味を味わいながら、
    深くて美味しいものだけが感じさせる、その物語を身体で聴いている。

    これも不思議なんだが、深いものとは噛みしめながら語り合える。
    物語のあるパスタ。物語を語る蕎麦。物語である担々麺。
    私にとっては、その物語はどれもこれもオンリーワンの物語だった。

    「魂としての私」と、池田晶子さんが書いていた。
    そうなんだ。
    この魂と言うことで全てを想うと、何だかあらゆることを納得できる。

    私は、魂の私を今、ここで生きている。
    だから、きっと私は、「死んでも、死なない」私なんだ。
    そうして周りを見回せば、
    魂の妻が居て、魂の長男が居て、魂の次男が居た。
    みんなみんな魂としての存在として、ここに生きている。
    でも、知らぬのは本人、その人だった。

    実は、魂は、いつもいつも語ってくれていた。
    それはそれは深い深い物語を。
    でも、私は、夢から覚めた後のように、
    そこにそうして魂であったことすらすっかり忘れて、
    ここに、この現の世界に生きている。

    そして、目の前の現実、現象だけに心を奪われ、
    欲を出し、何とかならないかと悩み苦しみ、右往左往して生きている。
    しかし、魂としての私は、全く動ぜず、変わらず、泰然自若。
    あるがままに、あるがままに在り続けている。
    なのに、それに気付かず、それを知らず、それをおろそかにして迷っている。
    本当に、どうにもならない私がそこに生きている。

    でも、深く深くでは、何一つ私が生まれる前から変わってはいない。
    だって、それは、魂だから。
    そして、魂は、私がどんな状況であろうとも、
    どんなに罪を犯し、どんなに惨めにつぶれ果て、修羅の道を歩いていようとも、
    私と一緒に、私を歩いていてくんなさっていた。

    きっと黙って、慈愛の眼差しで、迷いと苦しみの真っただ中に居た私を、
    「いつか必ずこのことに気付く日が来る」と、
    忍耐強く御同行で歩んでくれていたことだろう。

    担々麺に話を戻す。
    担々麺は、深いから、にんにく・辛子・胡椒を足したらもっともっと深くなる。
    もし、浅い担々麺があったら、きっとそうはいかないことだろう。
    いくら味を足しても、その浅さは変わらず、
    きっとどんどんまずくなっていくのだと私は、想う。

    深いから、もっと深くなる。
    浅いものは、深くはなれない。
    そして、深いとは、底が見えないということだ。
    浅いとは、底がよく見えるということ。
    底が見えない底なしは、いったいどこと繋がっているのだろうか。
    だから、深いものは、その深さ故に美味さなんだ。

    難儀という文字を、今朝、本で見た。
    深い言葉だった。
    知らなかったし、全く気付かなかった。
    難儀の儀は、これって儀式の儀ではないか。
    婚儀・葬儀・儀式の儀。
    どうして「なんぎ」に「難儀」という文字が当てられたのか。
    そこにもやっぱり深い深い意味が在ると私は想った。

    難儀を通過して、初めて人は深くなる。
    難儀を通過せずして、人はきっと魂と言う私には出会えないはずだ。
    苦難と言う儀式、禊、通過儀礼を通らぬ限り、
    その魂である私としての深味には決して至れない。
    この深味こそ、深いからの物語だ。

    深味である太威の担々麺には、魂としての担々麺の味があった。
    その深味こそ、魂を込めて作られたものだけがもつ物語を語れるものなのだ。
    魂をこめたものはここに在る。
    そのものは、深い深い味を味わわせるものだ。
    そして、その深味の底では、きっと在るものと繋がっているはずだ。
    澤木さんの言う、「仏とひとつながりの私」かな。

    下越の代表となった太威の「カレー担々麺」は、
    来年1月22日・22日 ふるさと村でファイナルを迎える。
    まさに「クラブワールドカップ・拉麺編」だ。
    クラブワールドカップのファイナルで、私はジーコの魂か起こした奇跡を目撃した。
    今度は、ぜひ、ふるさと村のファイナルで、魂の担々麺を味わいたい。

    奇跡は、起こすもの。
    その奇跡を味わえば、きっと「魂の私」であることを知るはずである。

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