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  • from: クマドンさん

    2017年06月28日 06時19分41秒

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    闘うということとは。

    「標的の島 風かたか」を観た。
    映画の半ばから、ずっとずっと涙が流れて止まらなかった。
    時には、嗚咽になりそうで、困った、困った。
    沖縄の宮古島に自衛隊の防衛ミサイル基地が作られる。
    高江にオスプレーのためのヘリポートが作られる。
    辺野古には新たなアメリカ軍の基地が移転されようとしている。

    そんな沖縄の人たちの、闘いのドキュメンタリーだった。
    闘う声。
    その真摯な声に、心か震えた。
    彼の叫び・彼女の訴え。
    それは、もう戦争はしない。
    沖縄を二度と戦場にはしない。
    子どもたちに平和で安全・安心な沖縄を受け継ぎたい。
    その一心だった。

    でも、利権が在り、いろいろと想う人たちも中には存在している。
    工事車両が入らないように身体をはってバリケードを築き、
    キャンプを張り、路上に車を駐車して、
    その車両の進路を阻もうと全国から集まって来た人たちも居る。
    でも、この基地の工事に賛成をして、
    反対する者たちを少数派の迷惑な人たちと、
    会議の最中で、ヤジを飛ばし、批難する人たちもいることは事実だ。

    「私は、基地の建設に大賛成です」と、威張ったように言う。
    それは、国が決めたことには反対してはならない。
    そのおかげで、自衛隊の家族がここに住み、島が潤うのだからと言う。
    「何でお前たちは、反対しているのか」と、村八分にもされることもある。
    それもあるだろう。

    それでも、そう言われ、叩かれることを分かっていても、
    声を挙げなければと決意した若い母たちは、
    やっぱりミサイル基地建設反対の署名を集め、
    島民に呼びかける運動を続ける。止めない。やめられない。
    それは、人としての尊厳を守る闘いでもあるようだ。

    動き出す人。
    何かを変えようとする人。
    公の決定に反旗を翻す人。
    実は、その人たちだけがこの社会を変え、
    人が人らしく生きられる社会に進めてくれた人たちだ。

    もし、ここで反対の声を挙げ、
    リーダーの佐藤さんのように自らの癌の身体を押して、
    その抵抗運動の先頭に立って闘っている人がいなかったとしたら、
    公は、そのままなってしまうことだろう。

    彼等の闘う相手は、公の手先である全国から集められた機動隊の若者だった。
    これって、実に実に不思議でおかしな図式だと私は想った。
    機動隊の隊員の制服からは、所属の県名が分かるタグは胸から消えていた。
    「あんたたちは、沖縄を戦争に巻き込むつもりなのか」と、問い詰める婆。
    黙って、ぐっと堪えている機動隊の若者。
    何で、ここで、こんな闘いを雨の中で続けねばならないのだろうか。
    それを決めた大臣・官僚たちは、
    そんな雨の冷たさも知らずに、ぬくぬくと生きているのに。

    世の中とは、いつもこうしたものだった。
    そして、必ずこうして反対の声を挙げたり、
    反旗を翻した人たちを、冷たい目で見たり、迷惑だと言ったり、
    時には、陰口をたたき、あることないこと言いふらして非難する輩も存在する。
    そして、排除する直接的な力は、警察・機動隊だった。

    しかし、何が哀しかったと言って、
    こうした沖縄で日々闘いが行われている理不尽な現状を、
    マスコミが全く無視して、世の中に伝えていないことだった。
    伝わっていない闘いには、誰も憤ることが出来ず、
    誰も反対の声を挙げられず、その闘いには参加することができないんだ。

    日本のジャーナリズムは、どうなってしまったのか。
    あの大新聞の忖度のように、闘いを恐れ、卑屈に委縮してしまったようだ。
    言うべきことは言う。
    闘うべき時は、闘う。
    変革すべき時は、果敢に変革に突き進む。
    それが、ジャーナリズムの真骨頂ではなかったのだろうか。
    ゴシップばかりでは、週刊誌も読まなくなってしまうだろうに。

    何故、涙が止まらなくなってしまったか。
    それは、ただ只管、信念をもって一致団結して闘う姿を見たからだ。
    そして、それこそ、人の真実の姿ではないかと想ったからだ。
    ただし、それは、私が忘れていた、置き去りにした姿だったからだ。

    「見て、見ぬふりはしない」
    これは、私が書いた明和義人の劇「慈眼」のテーマだった。
    涌井藤四郎は、あの沖縄で闘っていた人と同じ人なんだ。

    劇中の若者の言葉だ。
    「私は、こんな座り込みが何の役に立つのか、無駄なことではないかと想ったことがあります。そして、座り込んでいるあるお婆さんに聴きました。すると彼女は、確かに無駄かも知れない。でもね、子どもたちのためにじっとこうして座り込んで闘っていた婆ちゃんが一人でも居たことを、私は、歴史の中に遺して死にたいんだと。」

    生き様を、歴史に刻む。

    意味は、在る。

    少なくとも、私の魂に、そのお婆さんの想いは刻まれた。

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