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  • from: クマドンさん

    2017年10月06日 06時26分05秒

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    仏様は、いなさるて

    そう言えば、こんなことがあった。
    高柳に行って、紙漉き職人の小林さんに出会った時だ、
    彼が、楮を育て、どうやって紙にしいるか。
    この山の中で生きるって何かを、訥々と語ってくれたことがあった。

    すると、私の中で何かが起こり、関を切ったように涙が溢れた。
    これがSさん、Wさんと私の三人でお話しを聴いていたのに、
    私が突然滂沱の涙で嗚咽し始めたので、二人はとも心配してくれた。
    「大丈夫ですか」と、Wさんは私の身体を心配してくれた。
    いや、どう言っても、言えないんだ。
    説明できない私は、その感動して身体を震わせている私を感じた。

    その瞬間からかな。
    私には、感動する私。感じて、自然に動き、涙する私が居ることが分かった。
    「ああ、居るんだなぁ」とは、自分自身に対しての大いなる気付きだった。
    それ以来、私は、その私の感性を信じて生きている。
    感ずるがままにする。
    あるがままに深く深く味わえるなら、味わうままにする。

    それを言葉には、しない。
    いや、言葉に現すには、まだまだ私の身体の五臓六腑に染み渡っていない。
    つまり、発酵していないとでも言えるのだろうか。
    まだまだ、生のまま。地のまま。素材のままで、麹によって化けていない。
    だから、桶に寝かせ、蓋をして、大きなごろた石の重しを置く。
    きっと、いつか、その味が深く得も言われぬものとなっ時、
    その蓋は開けられる。
    発酵とは、そういうことだし、
    人生も発酵も本当は、みんな発酵を待つために生まれて来たんだ。

    頭でっかちの、ずっとこうだったと思い込んでいた私が在るのではない。
    そのどうにもならなく感じて、身体を震わせ、涙を溢れさせる私が、私。
    その私こそ、私、そのもの。
    われわれは、と言う、私。
    どこでどう取り違えてしまったのか、勘違いしてしまったのか。
    私は、私自身を誤解していた。
    それも私だ。でも、そろそろいいではないか。
    発酵は、既に完了しようとしているのだから。

    阿賀に生きた、田んぼ仕事の長谷川さん、餅屋の加藤さん、船大工の遠藤さん。
    みんなここには居なくなってしまった人だが、
    全然そんな気がしないのが、不思議不思議。
    私は、遠藤さんの炉縁に座り、遠藤さんの淹れてくれたお茶を飲む。
    訥々と船造りの苦労話を聴く。
    長谷川さんの酒を飲む。
    大きな鈎一本で遡上する鮭を捕っていた頃の自慢話を聴く。
    一緒になって鉱夫の仕事歌を歌う。騒ぐ。眠る。

    餅屋の加藤さんの薪ストーブに木をくべる。
    婆ちゃんとの掛け合い漫才に腹を抱えてひっくりかえる。
    東京で餅屋をやっていた頃の苦労話を聴く。聴く。

    そして、きっと、みんなそうだと想うが、
    とてもとても哀しくて、辛くて、どうしょうもなかったことが、
    それぞれの人生にはあったことを知る。感ずる。肯く。涙する。

    深さと尊さとは、その生き方からしか、生まれてこないものだ。
    大拙さんが、書いていた。

    「一時的に催眠状態にかかった本性(ネイチャー)が、
     やがて現れることは必定である」と。

    ここがいい。
    本性は、ネイチャーなんだ。
    ネイチャーは、本性なんだ。だから、それを自然と言う。
    それは、何にも混じりっ気のない純なものだ。

    そのことは、感ずるままだし、感じなければ分けていただけない尊いものだ。

    そんな生き方を、きっと私は小林さん、遠藤さん、長谷川さん、遠藤さんから、
    習っているのだと、やっと分かった。
    そうあるものは、私をもそうあらせるものだ。

    「概念で実在は汲み尽くせぬ」

    「最も徹底した否定が行われ、
     もはや否定すべき一物も無い絶対否定に達する。
     これが大いなる涅槃である」

    「生死の業に身を委ねないことだ」
    「大涅槃を求めることが、生死の業だ」

    「最初から、人は束縛されてはいない。
     ゆえに解脱を求める必要はない」

    「ただ「それ」を用いよ。ただ「それ」を行え。
     これこそ比類ないものだ。」

    「直用直行」

    「一つであり、同じもの」

    「それ」(it)

    最初から人は、誰一人として、束縛はされていなかっんだ。

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