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  • from: クマドンさん

    2017年10月23日 07時17分27秒

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    台風が来た

    超大型の台風が、今、静岡に上陸した。
    その風がここ新潟市東区を吹き荒れている。
    ただ、私たちは耐えるしかない。
    凌ぐしかない。
    過ぎ去って行くことを待つだけ。
    それって、自然と私とのある日、ある時の当たり前。

    こんな嵐の日もある。
    そんな時に、どうやって耐えて、忍ぶかだ。
    この轟々と荒れ狂う風を、どうすることもできないのだから、
    ここに居て、じっと過ぎ去って行くことだけを願っている。
    祈りとは、こんな時に人の内から生まれるものだ。
    自然の驚異の前に、為すすべもないちっぽけな人。
    今は、こうしてしかっりと守られた家の中でやり過ごしているが、
    昔は、もっともっと自然と一体の脆弱な生活の中に人は生きていた。

    だから、きっと、自然のあらゆるものに神を見て、
    その神に対する、畏れと無力感とによって、祈りは生まれた。
    この嵐の音に、神の言葉を聴き、
    この嵐の猛威に、神の激しい怒りや断罪の想いを感じた。
    この風の音を、どんな意味として感じているか。
    こんなにも吠え叫んでいる風から、
    人は何を感ずるか。

    だんだん人は、文明社会に慣れ親しみ、
    この人工的で便利で快適な生活だけを生活として想うようになった。
    この風の中に、出ようとはしないし、
    この風の荒々しさを体感しようとはしない。
    でも、庭の花たちも樹たちも、この嵐の吹き荒む真っただ中で耐えている。
    花は、そこに咲く。
    そのことって、やっぱすごいことなんだと、改めて想う。

    私は、そこら人や社会をみようとしている。
    花の視点。鳥の視点。一本の百日紅の視点。かな。
    そこに立ったまま、言葉が内から生まれて来ることを待っている。
    感ずることが深くなれば、きっとその言葉は生まれて来ると信じている。
    そんな言葉だけが、人には伝わる。
    そんな言葉は、きっとみんなの魂にもあるその言葉だ。

    何だか、こん台風の風のおかげで、
    大いなる自然の力と働きと、真っ向から向き合うことになった。
    その向き合ったまま、黙って、この荒ぶる風の音を聴き、
    そして、その音に呼応して内から目覚めるものを静かに感ずる。

    いのちとしての私たちが、それは忘れている生き方だった。
    黙って、この恐ろしい風の音を聴く。
    すると、縄文人たちが同じようにこの音を聴いていたことを想い出す。
    どんなに怖ろしかったことだろう。
    どんなに寒くて、辛くて、怯えたことだろう。

    時々、こうして自然のど真ん中に身を置いてみる。
    すると、私たちはすっかり忘れていても、
    やっぱりどうやっても大自然のど真ん中で生きていることを想い出すはず。
    この自然と向き合い、ど真ん中で生かされているちっぽけな私を想うと、
    もう少し、なんだか、人には、親切にして、優しくしてあげたくなる。
    ああ、あのお婆ちゃんは、たった独りでどうやってこの風の音を聴いているかな。
    あの古くなった小さなお婆ちゃんの家は大丈夫だろうか。
    この大風に吹き晒されるこの小さな町は、
    この台風によって運命共同体となっていく。

    呼び覚まされるのは、そうした「われわれ」としての意識でもあった。
    この嵐の中、ちっぽけないのちたちも、私も、おばあちゃんたちも、
    みんな一つの「われわれ」として、耐えて、忍んで、生きている。

    不思議だなぁ。
    この大嵐が、無意識の中で眠っていた「われわれ」を、
    目覚めさせてくれたようだ。

    「私」だけでは、生きてはいけない。
    「われわれ」だったら、人は、何とか生き延びられるのではないだろうか。

    これは、灰谷健次郎さんの本にあったアマゾンの原住民の言葉。

    「一本の木に実がなれば、その三分の一は、私自身が生きて行くために、
     神に感謝してもいで食べる。他の三分の一は、私の子孫のために、
     もがないで残しておく。残りの三分の一は、われわれの生命以外の
     生命のために木に残す。」

    私は、そんな畑をやりたくて、Mさんと語り合っている。

    私なりに、この言葉から教えられたことを、次の言葉に現してみた。

    「一本の木の実
     その三分の一は、感謝して私のために
     その三分の一は、子どもたちのために
     その三分の一は、あなたたたちのために」

    Mさん、どうでしようか。

    自然の真っただ中に立たされると、「われわれ」が分かる。
    みんな一緒で、みんな一つだ。
    その「われわれ」を生きるために、「われわれ」は、
    お互いに助け合い、支え合い、与えあい、分ち合う。
    その「われわれ」こそ、地域コミュニティーの地域社会だ。

    さてさて、どんな嵐が来ようとへこたれない「われわれ」となるために、
    私たちは何をどのようにしたらよいのか、
    そろそろ本気で考える時代になったようだ。

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