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  • from: クマドンさん

    2017年11月16日 06時31分06秒

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    ビオラと共に春を待つ

    昨日は、雨だった。
    今朝もまた、雨になった。
    それも寒気が北から降りて来たので、冷たい雨だ。
    今年は大雪になる予報らしい。
    毎年、同じではない。
    日々、新ただ。

    昨日、ふっと気付いたことがある。
    「新しくないものは、一つもないということ」だった。
    同じように感ずるから、勘違いするんだな。
    どんなものでもよくよく見つめ、よくよく観察し、よくよく感ずると、
    全く違うものに変化していることがよく分かる。
    違うものを創りだして、人は自然は天気は生きている。
    同じものを創ることのほうがどんなに難しくしんどいことかだ。

    だから、昨日と今日とは、連続で延長だとも言えるけれど、
    そうではなくて、ただ、今、ここがあるだけ、
    そう考えれば、何でも楽になるし、面白くもなるし、こだわらなくてもよくもなる。

    クマさんは、いい加減だと、よく言われる。
    言っていることが変わるとも言われる。
    でも、相手にしてみたらそうなんだろうが、
    私にしてみたら、それは変わったということでもない。
    ただ、今、ここでは、こう考える。ただ、それだけ。
    だから、弁解も、言い訳も、訂正もしない。
    いつもこれで、誤解され、やっつけられる。
    私を虐めてきた人たちは、そうしたきっと真面目な石頭の人たちだった。

    まぁ、いいかで、すーっとスルーすることも多くなった。
    そんなこと、どうでもいいではないかと思ったら、
    そんなことにはこだわらずに、次に進む。
    そのことで、とやかく言っている時間は、私には残されてはいない。
    だから、すぐに忘れる。
    やっぱり、駄目な人でもあると、自覚はしている。
    でも、それを進歩だと信じてもいる。

    昨日も、「麒麟」に行った。
    雨の合間に自転車ででかけた。
    「ビオラ」を買うためだった。
    先日、このお店の人にいいことを聴いた。
    「ビオラ」も「バンジー」もこの冬を、
    雪の中でもしっかりと越すということだった。
    そして、雪の下で寒さに耐えた花たちは、
    春を待ってその蓄え、我慢し、耐えて来た力と喜びをもって、
    一気に美しい色になって咲き誇ると言うのだった。

    私は、初冬になってから、庭の花壇を仕舞にするつもりだった。
    これから、雪が来るのに、花を植えるのが可哀想だと想ったからだ。
    ところが、そうではないことがよくよく分かった。
    命は、やっぱりどこかで翌年の春に繋がらねばならないんだな。
    その繋がる形が、その種類によって、生き方によって違うこともよく分かった。

    いなくなった蝶は、形を変えて、この自然の中で存在している。
    蛹がそれだ。
    今年もコットンがよくよく咲いた。
    今は真っ白な綿をつけたまま花壇に立っている。
    すると、その綿の中に丸くってちっちゃな黒い種がある。
    そうだ。種で春を待つ植物がいるな。
    それから、昨日、チューリップの球根を植えた。
    彼岸花は深緑の葉っぱを伸ばして、土の中の球根を養い育てている。
    そして、ビオラとパンジーは、花のまま、小さな葉っぱのまま、雪に耐える。
    みんな、春を待っている。

    そうかと、その話を聴いたら、その耐えるビオラたちに会いたくなった。
    そして、来年の春に、暖かくなったら、
    その春のお日様をいっぱい浴びて、のびのびと輝くビオラの花の色たちに、
    何だか私は、会いたくなった。
    だんだん空いて来たプランタが増えて来た。
    よし、ならばと、そこにせっせとビオラを植えた。

    昨日、聴かれた。
    「お客さん、ガーディニング、ずっとやってられたんですか?」と。
    そうだなぁ。と、改めて考えてみた。
    思い返せば、ある日、突然。五年前?
    思い立って土を大量に購入し、庭の一角に花壇を造った。
    そこに、名前も知らなかった花を植えた。
    そして、せっせと毎朝、毎夕に水をあげた。
    すくすくと育ち、花を咲かせた。
    暇な日中には、その花の傍らで椅子を出して本を読んだ。
    庭で音楽を聴くようにもなった。
    天気の日には、この庭に居ることが多くなった。

    ああ、あの日、この庭に来てくれた花たちが、
    こんな私に変えてくれたんだなと、その時、想った。

    人は、変わるものだ。
    それは、その人の想定外、予想もしなかった姿・形にだ。
    変わると言う生き方が、自然そのものの生き方でもあった。
    私は、そのことも花たちや、虫たちから教えられた。

    季節は移り変わる。
    それに呼応して、応答しながら、命は、その命を繋げるために、
    その姿・形を変え、その日その日のど真ん中を生きている。
    そのことが、自然で、とてもすごいことで、
    そうした生き方の知恵を、自然に生きるもの全てに与えられてある。

    庭とは、その真実の現れを、目の当たりに見て、
    感じて、ガッテンし、学ぶ場所なんだな。
    やっぱり自然が、偉大なる先生だった。
    だから、私は、変わってもいいんだし、変わらなければ生きてはいけないんだ。
    変わることは、生きることだ。
    反対に、変われないことは、その変化に呼応・応答できないから、
    ぽきんと折れたり、弱ったり、枯れたりするんだろうな。

    日々は、全て新しいものだ。
    今、ここに感じたままに、呼応して生きる。
    来年の春に花を咲かせるために、どのような姿・形で命を繋げるか。
    冬が来る。雪が来る。さて、どうやってその寒さに耐えて、生き延びるか。
    昨日と同じ、花はない。
    変化するということは、実は、成長しているということだ。

    そして、少しずつ、終わりに向かいつつあるということだ。
    しかし、その終わりには、種があり、球根があり、蛹があった。
    終わりとは、けっして終わりではなく、次につながり、受け継がれる命のことだ。
    そして、その命が、増えていく。
    たった一粒の種から、千粒の種が生まれる。

    今年の冬は、今度私の庭にやって来た、ビオラたちと共に耐える。
    ビオラが雪の下で、春を待つなら、
    私も、そのビオラたちに負けないように、春を待とう。

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