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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2018/02/14 06:19:22

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    家族であることとは

    「ミッドナイトバス」を観た。
    心に沁みた。

    言葉ではなかなか言い表せない深さを感じた。
    冒頭のシーンが、この大山の北越製紙脇の道路だった。
    我が家から歩いて5分のその場所が、
    バスの車庫として使われていた。

    家族って、何だろう。
    そんなことを我が家のことを重ねて観ていた。
    感じていた。
    別れた妻の美雪との再会が在った。
    彼女は、東京で家庭をもっていた。
    でも、寂しさは消えなかった。
    自分が捨てて来た子どもたちがここに生きている。
    自分は、旦那とは上手くいっていない。
    そして、父の介護で疲れ果てている。
    そんな時の利一との再会だった。

    長男は、東京の会社を辞めて、突然の帰郷。
    仕事のストレスとアトピーのかゆみと痛み。
    何だかとっても満足に生きられなかった自分を抱きかかえて、
    やっとのことで実家に帰った。

    妹は、自由奔放に生きている。
    お見合いをしたが、全く家風が合わない家であり、
    彼女のことを望んではいない両親だった。
    彼女は、自分を捨てた母を赦してはいなかった。
    突然、幼い自分を置き去りにして行った、母に対しての憎しみを、
    いつもいつも心の片隅に抱えて生きていたのかも知れない。

    東京の小さな居酒屋を独りでやってい美雪。
    もうすぐ40歳になる30代後半のバツイチの彼女。
    彼女は、利一のことが好きで好きでたまらない。
    彼女にとっては利一は、頼れる兄貴であり、お父さんでもあった。
    彼のためにせっせと創作料理を提供する。
    尽くす。一途に尽くす。
    それは、彼と別れて独りぼっちになってしまう不安がどこかにあるからだ。

    認知症を患った父は、せっかく買ったマンションにも住めず、
    病院に入院している。
    足が不自由なので、車椅子での移動だ。
    後、わずかな人生の時間であることを知っている。
    この記憶すら、いつの間にか失われてしまうかも知れない。
    死と自分や家族の想い出すら忘れてしまうだろう、その恐怖と。
    一日一日、そんな不安の日々を送っている。

    さて、その家族の中で生きている利一だ。
    父親であり、夫であり、男である彼の、その在りようが、
    何だか、とても、心に沁みた。

    若かったころには、決して分かることの出来なかったことが、
    50歳を前にして、利一の心には感じられるようになった。
    あの頃、してあげられなかったし、言ってあげられなかったことを、
    今の利一は、素直にでき、素直に言葉にする。
    利一も、利一であることで、たくさんたくさん抱えて生きている。
    それだから、自分のことは黙っている。
    50歳の利一には、家族の1人1人の想いや願いや、痛みや孤独が、
    やっとやっと感じられるようになったのかも知れない。

    若い頃は、確かに自分のことだけで精いっぱいだ。
    東京での仕事を辞め、実家に帰り、
    口煩い姑の居る家に美雪を置いて、
    自分はバスの運転手として、子どもを育て、
    家族を養うために必死に働いた。
    自分では、それでも頑張っているつもりだったが、
    妻の美雪の寂しさと、辛さとに、気付かずに生きて来てしまった。

    突然、妻は、家族を捨てた。家を捨てた。
    そして、利一は、離婚しして、二人の子どもを懸命に育てた、つもりだ。
    でも、その妻にも、長男にも、長女にも、
    それぞれのそれぞれなりの想いや哀しみや辛さがあった。
    でも、彼は働くことで、そのことから逃れるように、
    その想いや哀しみや辛さと、向き合おうとして来なかった。

    家族って、どこの家もそうではないかな。
    みんなそれぞれが、それぞれの想いで生きているけど、
    いつの間にか、どこかすれ違い、どこかで離れ、どこかで諦める。
    時には、自分の思いや哀しみ、辛さを訴えることもあるが、
    その瞬間まで、ずっとずっとそれを抱えながら、我慢している。
    耐えている。

    人は、みんな独りだし、違っていることは当たり前だが、
    家族である。家族であった。家族になるという人は、やっぱり他人とは違うんだ。
    想い続ける。心配し続ける。見守り続ける。
    それが、死んでもできるのが、やっぱり家族という人たちなんだな。

    佐渡汽船のデッキでの家族写真の笑顔には、
    そうした「家族である」ことの、何か喜びや、安堵や、納得のようなものを感じた。

    本当に、ジーンと来る言葉ばかりだった。
    また、深く心に沁みこむシーンばかりだった。
    インドへ行くことを決意して、利一の運転する夜行バスに乗り、
    池袋に降りた長男に、黙って荷物を渡す利一の在りように、
    6月に東京に行ってしまう次男を想い、
    今でも、涙が溢れてしまう。

    私たちは、きっと家族と言う物語を生きている。
    その物語を、物語として描く映画やドラマが本当に少なくなった。
    それは、日常を深くの物語にするだけの作家がいなくなったためだった。
    だが、この家族の物語を描き切ることは、
    ある意味での作家の使命なのではないだろうか。

    脚本の加藤正人さんには、心からの感謝と拍手を送りたい。

    家族である人たちには、必見の物語である。
    それぞれが、それぞれの立場で、感じて、心にきっと沁みると想う。
    ロングランを期待する。

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