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  • from: クマドンさん

    2018年03月19日 06時16分50秒

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    生きてみないと分からないよ

    本当に今週一週間となった。
    毎日が現役最後の一日となる。
    まず願うことは、とどこおりなく、無事に日々を送ることだ。

    この日が、いつかは来るだろうとは想っていた。
    時間は、刻々と流れて行く。
    気付いていようが気付いていまいが、
    私にとっての退職の日は、そこに定まり、
    日々、そこに近づいている。

    どんな気持ちになるのだろうと、昔は想像していたが、
    実際は、何のことはない。
    いつものように、いつものような気持ちで日をまたぐだけだ。

    昨日電話で小千谷のSさんと話をした。
    何だかいつも二人は、同じ気持ちで生きていから不思議だなぁだった。
    同じとは、日々、変わるということだ。
    もし、彼も私も変わらなかったとしたら、
    きっと不思議だなぁとは、共感ではないはず。

    「へぇー、そうですか」
    「そうでしたね」
    その気付きが、二人の心と魂とを深く深くしてくれる。

    語る私もそうだった。
    語りながら、私は、われわれを私の中に発見する。
    昨日は、「奇跡」の話だった。

    「奇跡は、ありますね」
    「その瞬間を感ずるために、コンサートに行きます」
    「突然がーっと涙が溢れます。身体が震えます」
    「どうしてでしようか」
    「それは、きっと奇跡と出会うからだと想います」

    私は、本当によく泣くようになった。
    いや、泣くというのではないな。
    涙が深くから湧いてくる。
    それは、意識してではなく、そうしようとしてではない。
    昨日は、礼拝中に、パウロのテサロニケの人への手紙Ⅱの一節で、
    何だかぐっと感じて、涙が溢れた。
    それは、苦しみと慰めの言葉だった。

    「苦しみに出会ったことは、幸いです」
    「その苦しみのおかげで、あなたからの慰めを得ました」
    「だから、同じように苦しみに遭う人に、慰めを与えられる人となりましよう」

    ここ数年のこれでもかこれでもかの連続は、
    やっぱりこの日のためにあった気がした。
    導かれていたと言おうか、恵みであったとでも言おうか、
    こうならざるを得なかった、私だけの道がこの道だった。

    「目覚めていなさい」
    「固く信仰に立ちなさい」
    「男らしく、強くありなさい」
    「すべてのことを愛をもっと行いなさい」
    これからの私の生き方は、これだった。
    この道を私に歩ませるための、大いなる罪であり、痛み苦しみ、孤独であった。

    それほど、私は、神様から愛されていた。
    そんなことを、はっと気付いた。
    友もなく、孤独な私も、神様だけはけっして見捨てず、
    この教会に再び招いてくれた。

    不思議だなぁ。
    今日、今、ここに、こうして生きていること、
    いや、生かされていることこそ、不思議なことなんだな。
    その生かされていることの不思議さに気付けば、
    何も心配することも、憂うことも、心煩わせることもない。

    きっとその大いなる「はたらき」は、
    あの小さな小さな紫陽花の新芽に働いているように、
    今朝も庭で鳴くヒヨドリを生かしているように、
    この庭にいつの間にか春が来たように、
    そのはたらきは、私のこともちゃんとそうしていかしてくださるはたらきだった。

    その目には見えず、音にも聴こえない、その「はたらき」に、
    この自然そのものは満ちている。
    天地一ぱい。
    ここには、そのはたらきしか、存在していない。

    そして、そのはたらきには、意志が在り。
    そのはたらきには、意味が在る。
    その意味を、きっと使命と呼ぶのだと私は想う。

    全ての人には、意味が在る。
    それに気づき、驚き、感動し、その不思議を不思議なままに生きること。

    自然を生きるとは、その意味を顕わにして生かされるということだ。

    紫陽花の新芽に学ぶ。
    庭の野草に学ぶ。
    ヒヨドリに学ぶ。
    雀に学ぶ。

    学ぶとは、真似るということ。
    生かされるの先生は、この庭に在るいのちたちだ。
    だから、ただ、感じたままに学ぶ。
    学んだままに生きる。

    そうした生き方ができたら、気が楽になりますね。
    全てを委ねる。全てを任す。手を離す。

    何だかね。
    こうしたことに気付くことができたことが、
    何よりもの生かされている日々の感謝だな。

    Sさんは、そんな話を聴きながら、突然、「電話、切るね」だった。
    心がわくわくと騒ぎ、何だか抑えきれない衝動にかられ、
    ご自身も庭に出て、新芽たちと語りたくなったからだった。

    生きてみないと分からない。
    本当にそうだと、今は思えることが、幸せだなぁ。

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