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  • from: クマドンさん

    2018年08月27日 09時07分51秒

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    賢治さんからの「手紙」

    「賢治の会」だった。
    毎月一回、松浜の「こらぼや」で開催される朗読の会。
    昨日は、「手紙」をみんなで読んだ。
    その後に、お互いで感じたことを語り合う。
    ここで、物語はいっそう深いものに変化する。
    語ることで、気付くことがとても多い。
    まさに、その面白さがこの賢治の会の醍醐味だった。

    手紙1は、竜の話だった。
    さんざん悪いことを行ってきた竜が、心を入れ替えた。
    これからは悪いことはやめて、よいことをしよう。
    竜は、夜になると美しい蛇に返信する。
    狩人がやって来て、王様に差し上げるためにと、その皮をはいだ。
    竜は、狩人たちがかわいそうだから、そのままはがれたままだった。

    次に、虫たちがやって来た。
    竜の肉をみんなしてむしゃむしゃと食べ始めた。
    竜は、食べられるままにして、あの世に行って生まれ変わった。
    そしたら、お釈迦様になっていた。
    そして、竜の肉を食べた虫たちも、その弟子となり、
    「まことの道」をずっと歩いた。

    手紙2は、ヒンズーマティーという娼婦の物語だった。
    尊いアショカ大王が言った。
    ガンジス河に向かって、
    「誰かこの大河の水をさかさまにながれさせることのできるものはあるか」と。
    そこで、彼女は言った。
    「私のようないよしいものでさえできる、まことの力の大いなることを、
     王様にお目にかけましよう」と。
    そして、まごごろこめて祈ると、なんと大河のながれはたけりくるって、
    さかさまにながれ始めた。
    「どんな人でも私は、等しくあつかいます。そのまことの心が、これをなしました」

    手紙3は、目には見えない小さなものの物語だった。
    この目には見えない小さな小さなものでも、
    それは、ちゃんとここにあるのであり、ないのではない。
    「ないものは、ない」だな。
    「このような、あるいは更に小さなものも明らかに見て、
     少しも誤らない人は、むかしから決して少なくありません。」
    「この人たちは自分の心を修めたのです」

    手紙4 賢治がある人から云いつけられて、印刷して私にくれた手紙だった。
    そのことは、またいつか書きたい。

    しかし、この4つの手紙に書かれた物語には、
    賢治が伝えたい全てのキーワードが隠されている気がした。
    「まことの道」を私たちは、歩くことだ。
    そして、そうやって生きている人の祈りには、「まことの力」が働いてくれる。
    また、そのまこととは、目には見えないものであるが、
    絶対にここにあるものであり、確かなものだ。
    そのまことを信じて歩む人こそが、心を修める人なんだ。

    そうした「まことの言葉」を賢治は、ある人から云い伝えられた。
    賢治は、その物語を、手紙に書いた。
    手紙とは、宛名のあるものだ。
    差出人は、賢治であり、ある人である。
    賢治は、その物語を聴き伝えることを自らの使命とした。

    チュンセとボーセの幼い兄と妹の物語では、最後にこう書かれてある。
    「みんなみんなむかしからのおたがいのきょうだいなのだから。
     チュンセがもしボーセをほんとうにかわいそうにおもうなら、
     大きな勇気を出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければならない。
     それがナムサダルマフンダリカサスートラというものである。
     チュンダがもし勇気のあるほんとうの男の子なら
     なぜまっしぐらにそれに向かって進まないか。」
    これは、賢治にこの手紙を云いつけた人の言葉だった。

    「ボーセをたずねる手紙をだすがいい。」

    それで私はいまこれをあなたに送るのです。

    と、賢治から送られた手紙を、5人の大人である私たちは、読んだ。感じた。

    最後の手紙には、私たちに、ぜひボーセを訪ねる旅に出なさいと、
    その旅に出発する勇気をその人は、求めていた。

    私は、この四つの手紙に書かれた物語の深さと真実に、
    何だか言葉を失い、何度も何度も物語を振り返り、読み返した。
    その時、同時に参会者たちが、それぞれの感想や意見を述べていた。
    「科学と宗教」について。
    「神はいるのか、いないのか」
    「見えないものは存在するのか、しないのか」
    「善く生きる。でも、きれいごとに生きることは私はできない」
    等等、何だか60代・70代の大人たちが、
    そんな哲学的な話にこうじて議論のようなこととなっていた。

    でも、私は、ここに居た。
    どうしても、その議論には加われなかった。
    私は、議論が何とも空しくなった。
    知識であり、常識であり、思い込みであり、ドクサだった。
    明らかでなく、そう思い込んでいるもので、
    自分自身を言いくるめよう、説得しようとしているようだった。

    でも、賢治のこの手紙からは、ほど遠かったと感じた。
    あの狩人や王様や科学者は、きっと心救われずに生涯を終えるだろう。
    分かったつもり。理屈で理解。こうなるはずだとの独断と偏見。
    「俺が、俺が」は、どこでも存在するものだ。

    私は、黙って、ここに居られた。
    ああ、私は、竜であり、ヒンズーマティーであり、心を修めた人の仲間。
    何だかそっち側に静かに居られることの幸いを感じた。
    何時から、私は、ここに居られるようになったのだろう。

    出来事は、必然か偶然か。
    出来事は、主観的な意味が在るのか、ただの客観的な事実なのか。
    一つのものは、味方によっては、違ったものに見えるもの。
    こっちからでは、やっぱり半分。
    あったからでも、やっぱり半分。
    「半分、青い」なのに、
    みんなは、その一つである全体を忘れて、観ずに、議論する。
    そうでもあり、ああでもある。

    心身一如。
    「半分、青い」その話だけを、最後にみんなにさせてもらった。

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