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  • from: クマドンさん

    2018年12月25日 05時51分44秒

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    無心であることこそ

    昨日、ぼーっとしている中で小千谷のSさんと話した。
    すると、やっぱり精神がしゃんとしたな。
    「いかに生きるか」の話は、いつも気付きが多い話ばかりだ。
    それは、Sさんが、楽に手を離して生きているからだろう。
    彼と話していると、こちらの心も楽ちんとなっていく。
    それは、とても在り難いことだ。

    今年、私が出会った師たちの話になった。
    やっぱりその人のことを尊敬できなくては、
    学ばないということ。
    謙虚な気持ちでその人に習おうとは思わないということだ。

    師とは、黙ってそこに居るだけでの存在感がある人。
    また、生徒に対しては愛情豊かで、
    いつも慈愛に満ちた眼差しでみてくれる人。
    今、ここで、何をしたらよいのかを的確に見抜く人。
    そうした人には、心酔し、人は黙ってついていくものだ。

    Sさんは、まさにそういう師でもあった。
    何も言わなくても、その笑顔から人柄がにじむ。
    いかに生きるかの問いを常にもっている人であり、
    優しく人を育んでくれる眼差しを持つ人でもあった。
    だから、私は、その声を聴きたくなる。
    それで、電話する。
    そして、生きるの原点の話を聴く。私も語る。
    そこで、私の萎れていた魂が蘇生する。

    私も、子供たちに対してはそういう人になりたいと願っている。
    やはり、教える者と学ぶ者との間には、
    リスペクトし合う関係が必須だと感じている。
    私は、子供たちにリスペクトしている。
    それは、その子が真にあるその姿に対してのリスペクトだ。
    今、ここにあるその子の姿は、
    それは、まさに途上であり、途中の姿だ。

    その姿の奥でまだその子本人すら知らない魂そのものの姿に、
    その子を育てることで、成らせることができるはずだと期待する。
    きっとそうなる。
    そうした期待こそ、その子に対するリスペクトであり、
    深い深い愛情となる。

    その奥深くの魂に語り掛け、
    その魂を目覚めさせ、その存在を自覚させることが、
    本当の意味での「教える」ということだと私は思っている。
    本人が気付かない限り、何も変わらず、何も成らない。
    本人が気付くことで、その人の心構えが変わり、
    行動が変わり、生活そのものが変わる。

    つまり、リスペクトとは、変わることへの信念でもある。

    「自とは無心のことである」との言葉。
    やっと何だか、自とはの意味に近づけた気がした。
    つまり、無心であるとは、同じであること。みんな一つであること。
    その無心に融けるということ。
    私も、Sさんも、子供たちも、無心のまま、等しいということ。
    万物皆無心だということ。
    違わないということ。同じだということ。
    だから、語り合えるということ。
    言葉が伝わるということ。

    心無心

    ああ、そうなりたいものだなぁと、つくづく感じた。
    きっとこれまでに私たちが求め続けて来た問いの答えは、
    この「無心」。

    何だかね。
    そう気付けば気付く程、それが遠くて難しくも感ずる。
    いつもいつも煩悩と迷いと夢と欲望に翻弄される私であるから。

    Sさんは、「捨てる」と言った。
    「いゃー、楽になりましてねぇ」と笑う。
    私は、よく雀たちが群れて無心に餌を食べている姿を見つめる。
    「ああ、これが無心」。
    それでもどこかで私と言う私が邪魔をする。どいてはくれない。
    顔を出す。溜息をつき、何だか力なく萎えることもある。
    それでも、この無心は、静かにそのまんま。

    何だかね。
    無心に生きているのは、大人たちではなく、子供たちなのではないか。
    その子どもたちから、大人たちは、その無心を習わねばならないのではないか。
    邪心の大人は、無心の子どもから、その魂の洗濯をしてもらう。
    私がリスペクトしているのは、この子供たちの無心に対してなんだな。
    習うのは、私の方か・・・・。

    これが昨日のSさんとの電話の結論だった。

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