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from: クマドンさん
2019/04/26 05:44:14
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なつが教えてくれた
あと、一日。
本当は、今日から私は連休にしたいぐらいだ。
二日間休酒をした。
それは、それだけ身体も心も疲れ切っていることを感じているからだ。
歳をとったと感ずるのは、気持ちからではなかった。
気持ちは益々盛んなりであったとしても、
実際の生活では身体がついてはいかないのが現状だった。
自らの身体に起こっている様々な出来事が、
「こんなはずではなかった・・・」という、驚き。
夕方になると、ほとほと疲れ果てて、休みたくなるこの私。
走ることはずっと辞めているこの現実。
何だかそんな現実と直面することで、やっと自覚する。
人は、自分自身のこうした身体の変化すら感じられないまま生きている。
さてさて、「なつぞら」が面白くなってきた。
それは、農業高校の演劇部の話になったからだ。
先生が魂を込めて書いた台本を、なつたちが演ずる。
高校演劇だ。
まだまだ人生の経験も少なく、
そうした役柄の立場に立たされたことのない高校生たちが、
闘う二つの村の人たちを演ずる。
それは、想像力によって、そうだろうと思うように演ずるしかない。
つまり、自分は村の長の役であっても、
その長ではないのだから、その長の気持ちにならなくてはいけない。
それを、「役になる」と云っている。
しかし、その役になろうとすると、
それは、その役者が造り出した、ただ単の作り物・模造品でしかない。
なろうとしてなっているものには、
やっぱり藁人形ではないが、魂は存在しないだろうと私も思う。
戦を止めて、平和に共に共存する道を得るために、
なつは、犠牲となり、相手の村の若い長の嫁とならねばならなかった。
その「想い」の台詞が、軽く、そっけなく、浮いて、響かない。
演出家の先生が云う。
「なつ、お前の魂しかないんだ。お前が、言うんだ」と。
なつの親友のてんゆう君も言う。
「俺も、なつの演技に、肚が立ったから、ああ言ったんだ」って。
言葉とは、そういうものだ。
言葉は、深く深くの自分を語るものだ。
その自分自身から顕わになった言葉だけは、真実として他人の魂に伝わる。
これは、不思議だが、そういうものだった。
私も、舞台に立った時、それを感じた。
自分が居るうちは、言葉は軽いものだった。
自分を捨てるのではなく、勝手にその役になるのでもなく、
何と言うか、本気でその言葉を語る時。
時には、魂が震え。涙が溢れ。叫び。訴え。語り掛ける。
その言葉は、何だか自分が語っている言葉でありながら、
言葉を語るべく語っている言葉。
何かから託された言葉として、使命をもって語る時。
いや、やっぱり・・・。これを、表現することは難しいな。
あの先生も、在るこれを、なつたちには、伝えきれず、
自らも語り切れず、稽古場を離れた。
しかし、ラストシーンだ。
なつは、自らの境遇を想い、自分を育ててくれた家族に感謝して、
その人たちを守るためには、自分の命なんかいらないと、その想いだけで、
その言葉を語った時、なつも涙が溢れ、止まらなくなり、
私も涙が溢れ、今も涙で手元が曇っている。
真実とは、自分のことであっても、気付かずに生きているのではないだろうか。
しかし、その真実に身の丈が合って来た時、
やっとその真実を言葉として、魂の言葉として、語れるようになるのかも知れない。
身体の衰えは、私の気付きの先を行く。
真実の言葉も、私が気付く前に、既に、ここにある。
後は、様々な辛苦を経て、様々な挫折を経て、
その言葉を、「ああ、そうだったんだ」と、分かればいい。
その言葉を、言葉のまま生きればいい。
なつは、あの舞台の上で、そのことを改めて、私に教えた。-
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