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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/10/11 05:20:50

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    その日まで・・・。

    せっちゃんが亡くなった。
    8日㈫の午後1時20分だった。
    職場に電話があった。
    「息が苦しそうだから、すぐに来て」とT叔母からだった。
    私は、二日間の準備を整え、子どもたちを帰し、それから車で駆けつけた。
    途中、叔父に電話して、「亡くなった」ことを知った。
    間に合わなかった。しかし、お別れは、前日できた。それが何よりだった。

    個室のベッドで、白い布を顔にかけていた。
    やっとゆっくりと休めたね。
    何だか生きることの苦労と哀しみから解放されて、
    ほっとしているせっちゃんを感じた。
    私は、お見舞いに来るたびに、意識の乏しいせっちゃんに、
    「ありがとね。」「もう、いいよ。」「南無阿弥陀仏だよ。」と言って来た。
    それは、せっちゃんは十分に生きるの辛さ寂しさを味わって来た人だからだ。

    楽になってよかった。よかった。
    悲しみよりも、そのことが先にある。
    人はこうして必ず死を迎える。
    しかし、本当の人生はここから始まるのだと、私は思っている。
    それは、父と母の死から学んだことだった。
    この軽く、細くなった亡骸には、父も母もいるはずはなかった。
    すーっと抜け殻を抜けたとでも言ったらよいのか。
    魂としての父と母は、やっとこの身体から解放されて、
    ここにほっとして、すっきりとして、私の傍らで生きていてくれる。
    そんなリアルな実感を、私は二人の死から感ずることができた。

    喪主になった。
    段取り一斉は、私に任された。
    80代の叔父や叔母5人を向こうに回して、
    とにかく決め事を次々と決めねばならなかった。
    何か一言を言うと、ああだ、こうだと、みんなが口々だ。
    シャットアウト。シャラップにした。
    まず、私が担当の人と交渉する。
    それを全部聴いた後で、意見を言ってもらうというルールだった。

    お寺との調整がある。
    それから、お斎はやらないが、昼食会の設定もある。
    銀行への交渉と、この葬儀費用をどのように捻出するかの課題もあった。
    そして、段取りは、全部私が差配する。
    三回目の喪主ともなると、その辺のあうんはよく分かっているつもりだ。
    しかし、叔父や叔母たちが、外から何やかんやと言って来る。
    シャットアウト。シャラップだった。
    とにかく、決定して、前に進めねばならなかった。

    通夜での喪主の挨拶で、不覚にも泣いてしまった。
    全てがとどこおりなく終了するためには、涙は禁物にしていたからだ。
    「貧しさの中から施した叔母」だった。
    そのことへの感謝で集まった親戚30名だった。
    みんな心には、叔母に対する温かな想いがあった。

    通夜の夜、みんなが帰り、12時を過ぎてから、
    裁断の前で菊水一番搾りを飲みながら、せっちゃんに語った。
    せっちゃは、聴いてくれていたはずだ。
    想いは、独りで、語りたかった。
    独り語り。聴き手は、死者であるせっちゃんだった。

    葬儀の朝だった。
    何とその夜中に大変なことが起きていたことが知らされた。
    私にせっちゃんの危篤を知らせたT叔母が、
    風呂の中で意識を失い、救急車でN大病院に救急搬送されていた。
    しかし、診断は「飲み過ぎ」とのこと。
    点滴で血中のアルコール濃度を下げ、一命をとりとめた。
    看護師が笑いを堪えていたそうな。

    まぁ、そんなこんなのドタバタは、通夜葬儀にはつきものだ。
    喪主である私には、何事も無く、粛々と全てのことが進み、
    終わりを迎えることがただただ私の責任であった。
    即時に判断し、決定し、先に進む。
    とやかくは言わせない。「そうします」で、推し進めて、斎場へのバスだった。

    秋晴れだった。
    海は凪で、美しい光だった。
    佐渡ヶ島も青く、遠くに輝いていた。

    『晴れていてよかった。よかった。」
    この天気は、せっちゃんへの何よりもの仏様からの贈り物だ。
    最期のお別れ、焼き場の扉が、ゆっくりと閉まる。
    ここで、終わり。
    せっちゃんの遺体は荼毘に付され、骨になる。
    みんな最期は、骨だった。

    しかし、せっちゃんは、一昨日の午後には、死者となっている。
    あの時から、父や母と一緒になった。
    魂としてのせっちゃんだ。
    もはや、悲しみも、孤独も、辛さも、寂しさも、苦悩も、絶望も、ない世界だ。
    浄土真宗では、亡くなられたら既にその人は仏になっているとのことだった。
    つまり、死出の旅は、しなくてもよい。
    だから、棺桶の中での旅支度は必要ないと、納棺士の人に教えてもらった。

    向こうとこっち。
    いや、ここが向こうか。

    もうM園に行っても、せっちゃんには会えないんだなぁ。
    でも、何だか、独り身で、小さな町の鋳物工場で埃にまみれ、
    そして、身体の不自由に耐えながら独り暮らしをしてきたせっちゃんにとっては、
    死は、安堵であり、安心なんだと、私は、思っている。
    生きることは、苦しみの連続だったりする。
    特に、老いてから、身体が不自由になってから、
    人は、きっと日々を生きることへの疲れと諦めとを感じていることと思った。

    お迎えが来る。
    私も、いつかそうでありたい。
    「もういいかい」「まぁだだよ」かな・・・・。
    いつかきっと、「もういいかい」「もういいよ」という日がやって来る。
    そしたら、喜んで逝きたいものだ。
    天の御国はすぐそこだ。

    願わくば、人には信ずる神様・仏様。
    そして、その人を安心立命させるコトバをもちたいものだと、
    改めて感じた。

    せっちゃん、お疲れ様。よく生きたね。よく頑張りました。
    これからは、ゆっくりとあちらで、みんなと一緒に、暮らしてください。
    また、きっと、いつか、会える日が来ますね。その日まで・・・・。

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