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  • from: クマドンさん

    2019年10月25日 05時46分17秒

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    魂の介護・魂の看取り

    いやはや、昨日は体調がすこぶる悪く、難儀した。
    まず、身体なんだと、いつも感ずる。
    具合が悪い時は、気持ちも落ち込む、やる気も出ない。
    そして、回復には時間がかかる。
    身体は、歳相応に反応している。

    前日Tさんと吉原で飲んだ。
    ちょうど出会うタイミングだったようだ。
    メールしたら、メールが既に届いていたことの驚き。
    妻が遅くなるとのことなので、長男も呼んだ。
    ここのタレかつの味は絶品の味だった。
    私は、その大盛の丼のタレかつ一枚をいただき、
    それを食べながら〆張鶴を飲んでいた。

    何でも体験・経験だなぁと想うことが多くなった。
    私は、父と母を亡くしている。
    私は、介護施設については父や叔母のこともあり知っていることも多い。
    それは、私が遭遇した事実から学んだことだった。

    初めての時は、本当に手探りだった。
    介護についてはケアマネに全面的にお願いをした。
    介護保険とはどういう保険なのか。
    その保険を活用できる人は、どういう人なのか。
    要支援・要介護の違いとは何か等、その時その時で学んで自分の知識とした。

    そして、お年寄りでもこの介護保険についての知識を持っていない人や、
    自分が現在の状況でどんな支援を受けられるのか、
    分かっていない人が大部分だということも、私は理解した。
    支援制度があっても、もの制度の存在すら知らなかったら、
    その制度は困っているお年寄りのためには、何もなっていないということだ。

    それから、介護は本人のためでもあるが、
    家族のためにも在ることを身をもって理解した。
    施設に親を入れることに抵抗感を感じている家族も少なくな現状だ。
    できれば家での介護を、親の為に望むという人だ。
    しかし、その選択は、その人自身と親自身の幸福感にかかわる問題だ。
    お互いが理解し合い、助け合い、優しい気持ちで介護したりされたりするためには、
    介護施設の入所は、大事な選択なのだということだった。

    世間体が悪い。兄弟姉妹から悪く言われる。親が可哀想だ。
    たしかに、そうした気持ちから、自宅での介護を引き受けている家族も多い。
    しかし、その介護する親が身体が不自由で車椅子の生活だったり、
    認知症があり、目を離せない状態であったら、
    その家族一人一人の負担とは、相当重いものとなってしまうものだ。
    何よりも、介護には休日も祝日もない。
    毎日毎日の介護が、いつ果てるとなく延々と続く。続く。

    私は介護休暇で、父と母、妻と三人の入院生活を支え、毎日二つの病院を回った。
    その時、父のことを病院が引き受けてくれたからよかったもので、
    もし、あのまま父が在宅だったら。私は言うことをきかず、酒ばかり飲んでいる父を、
    考えるだけで恐ろしいが、どうしてしまったかは、きっと分からないことだった。
    脳梗塞で倒れた父を、救急車に乗せ、
    救急隊員に母の入院しているK病院にぜひぜひお願いしますだった。
    その病院での受け入れが決まった時、ほっとして涙が流れた。
    それほど、父と二人だけの暮らしが私にとってのストレスだった。
    私は、父のことを相談しながら、
    ケアマネの前で涙が止まらなくなったことを覚えている。

    介護で一番大事なことは、看護される本人よりも、
    その介護を選択した家族の心のケアなのだと、いつも想っている。
    そんな話をTさんとできるのは、
    私が彼のようにその辛さを経験しているからだった。

    本当に人生はいろいろと向こうから勝手にやって来るものだ。
    「何で、私なんですか」「どうして、私ばかりこうなんですか」と、
    恨みや嘆きも多々あり過ぎるくらいだった。
    それでも、こうやって今は、62歳の自分を生きている。
    いや、きっと生かされているからここに至れたのだと信じている。
    おかげさまで、通夜と葬儀についても、見通しをもって段取りを組める人となった。
    介護と葬儀の相談なら、任せなさいになった。(笑)

    今、50代の父親たちは、きっとこれから向かわねばならない課題だった。
    老いた父や母をどう見守り、どう支援し、どう見とるか。
    それは、生命としての存在者である、私たちには必須の出来事にしか過ぎなかった。
    そうならない人は、この世の中に1人もいないはずだ。

    老いる。衰える。病になる。身体が不自由になる。誰かに助けてもらう。
    叔母は、自立した生活が出来なくなって、病院から施設に移った。
    そして、認知症になると、何を考えているのか分からなくなってしまう。
    そうなると、自分の命がもうすぐで果てようと言いう事実も知らない、感じない。

    私は、そうして生きて、亡くなって行った、父と母と叔母を見つめた。
    この厳粛な事実は、私にもいつか必ずやって来る事実だ。
    その時、どう生きてたいのか。
    そのことを、私が想うと、年老いた人たちに何をしてあげたらよいのか、
    分かるような気がする。

    私は、父と母と叔母から、老いと死を学んだ。
    そのことの先生が、父や母や叔母だった。
    そして、そこで学んだことを真摯に受け止めた。
    裏を見せ、表を見せて、散る紅葉だった。
    しかし、その死に対しては、私には救いがあった。

    それは、「魂」を信ずることだった。
    父の魂・母の魂・叔母の魂。
    それは、生前もそこにあり、亡骸となり骨になってもここにある。

    介護や死を看取るということは、
    魂の世話をし、魂を受け入れることではないかと、
    今は、少し想えるようになった。

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