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  • from: クマドンさん

    2019年11月06日 05時41分39秒

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    父と息子の物語なんだな

    昨日は、小千谷の「ちぢみの里」に行った。
    82歳のSさんと語り合うためだった。
    私たちの出会いは、天からのはからいだったと信じている。
    お互いにお互いを語りながら、
    私が私を聴いているような気がするからだ。
    同じなんだな。一つなんだな。いつも深くでそのことを実感する。

    私たちは、それなりに組織の中で生きて来た。
    彼は、管理職としてその組織のトップに立っていた人だった。
    学校の森づくりに尽力し、
    ホリスティク教育の理事までやり、東京や大阪だった。
    そんな中での私たちの「途中の会」だ。
    いつも、お互いにリスペクトして、刺激し合った。

    そうやって20年間余りが過ぎた。
    私が62歳で、Sさんは82歳だ。
    ちょうど20年間の差があるが、
    そのことをあまり感じられない二人だった。
    それは、建前や立場で語っているのではなく、
    いつもただ「いかに生きるか」の本質、
    そのどん底に立って、自分の想いを素直に語るだけだからだと思う。

    人は、一つだ。
    その一つを信じて生きているかの「問い」だと思う。
    Sさんが深くで感じ、信じ、行動して来たことは、
    私も同じものとして深くで感じ、信じ、行動して来た。

    お互いに懺悔すべきことは多い。
    愚かであったり、判断を間違ったり、横道にそれたりもした。
    それでも、Sさんという人格は変わらず、
    だからこそ、また新たなる気付きを得て、新たなる発見をして、
    「日々、新たに生きている」人でった。

    その気持ちは、私も同じだ。
    組織や地位や名誉や役職を守る事を目的に生きている人の何と多いことか。
    自分が得た既得権を失わないために、
    嘘偽りを流して、その人の名誉を傷つけ、排除しようとしたり、
    徒党を組んで、あることないことをでっちあげて人を攻撃したりと、
    そんな人たちに今は、私は囲まれて生きていたりする。

    その歳になるまで、いったい何を学んで来たのかと、情けなく哀れにも思う。
    しかし、この人たちは、その愚かさに気付かず、本気で攻撃をし続ける。
    私が、倒れるまで。私の信用を失うまで。私が辞めるまで。
    私は、実は、そうした人たちとのかかわりに少し疲れた。
    この人たちは、変わらないからだ。
    この人たちは、そんな自分の子とを「正義」だと思っているからだ。

    もう一つは、この人たちが意図的に流したデマが、
    何も知らない人たちにとっては事実となるということだ。
    つまり、そこにこのデマを流す人たちの意図はある。
    私を全く知らない人が、私とは「そういう人」なのかと決めつける。
    そんなことが、組織の中を生きていると、必ず一つや二つはあるものだ。

    私は、かかわることを止めた。
    Sさんにも、そんなことがあったと言う。
    その時なんだな。
    私もSさんも、その人たちには言わせておく。
    そして、その人たちの側には立たず、孤立無援で自立する。
    問われているのは、そんな状況の中での、自分の生き方そのものだ。
    私は、信仰に立って生きるし、Sさんは自分の信念を信じて生きて来た。

    その人たちには、信ずるものは無い。
    きっと、愚かで我儘で罪深い自分の子とを一番と信じて生きている人たちだ。
    その人たちと、私たちとの立ち位置は、全く遙か彼方で、大きく違う。
    その人たちにならない。絶対になりたくない。
    困っている人。苦しんでいる人。悲しんでいる人。
    その人たちの傍らに居る人でありたい。
    そして、実際にSさんは、そうやって生徒を守って来た人だった。
    ここに、人としての真実が在る。
    だから、彼は、管理職でありながらも生徒たちに慕われ続ける。

    Sさんにも、二人の息子だ。
    私にも、二人の息子だ。
    Sさんが、小学生だった息子さんの文化祭の絵の話になった。
    どんな絵を描いていたか、その時、どんな気持ちであったか、
    本当に慈しみ深い笑顔で話した。
    私も同じだった。文化祭にくことがとてもとても楽しみだった。
    私は、運動会や学校の行事には進んで参加したし、
    一年に一度は、仕事を休んで参観日には、授業の様子を観に行った。

    私もSさんも、息子のことが大好きだった。
    「ああ、やっぱり大好きなんだなぁ」の実感を、二人で分かち合った。
    そして、二人とも、息子として父に可愛がられた経験を持っていた。
    私も歳をとってわかったことは、
    父がこんなわたしのことを本当に愛していてくれたということだった。
    可愛くて、可愛くて仕方ない。
    それは、競馬で借金を作り、夫婦喧嘩の絶えない家であったが、
    そんな父であっても、その本質の芯部分の優しさと正直さを私は感じていた。
    その父の最期までの2年間を看取ったのは、息子である私だった。

    小千谷駅まで二人で歩いた。
    まだ、電車が来るまでには5分以上あった。
    私は、たくさんの高校生たちから少し離れてホームに立った。
    Sさんは、待合室のガラス窓越しに、私を見送るために立っていた。
    何だかお互いに目を合わせない。
    Sさんは、電車が来る方をずっと見つめていた。
    私は、涙が、涙が、止まらなくなった。
    わけもなく、ただ、そのガラスの向こうに父を感じた。

    そうだったなぁ。
    父は、きっと私が気付かなくとも、
    きっとSさんのようにして、遠くで私の背中を見送ってくれていたんだろうなぁ。
    そんな父を感じて、涙がこらえきれなくなった。
    62歳。ホームで突っ立って、独り涙を流した。

    放蕩息子の物語が在る。
    父は、どこかに去って行った息子のことはずっとずっと待ち続けていた。
    私は、神様を父と呼ぶ。
    「恵み深き、天の父なる神様」と、祈る。
    やっぱり、父なんだなと思った。

    父と息子との関係に、人としての生き方としての深い物語がありそうだ。

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