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  • from: クマドンさん

    2020年03月22日 06時18分20秒

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    土曜の午後は酔っぱらいだぜ

    さてさて、恒例の土曜日午後から酔っぱらい。
    昨日は、風が少し強かったけれど、格好の酔っぱらいデーだった。

    午前中にお向かいのAさんのお宅にお参り行った。
    お母さんは、すやすやと眠っているようだった。
    これで亡くなってから四日目の朝となる。
    ずっとここに居る。
    そして、多くの弔問客を迎えてくれた。
    すごい人だなぁと、亡くなった後も深く深くのリスペクトだ。

    彼女には、逞しさがあったな。
    そして、何よりもユーモアだ。
    彼女は何でも全てのことを受け入れた。
    くよくよしない。何とかなるさ。どんと来いだな。
    そうやって生きている人の傍に居るだけで、
    何だかこちらまでそんな気持ちになってしのうから不思議なものだ。

    「幸せだね」と、声をかけた。
    こうやって自宅の座敷で四日目の朝だった。
    娘さんのBさんは、ずっとずっと傍に座って、語りかけている。
    亡くなった気がしない。「お母さん」と呼んだら、目が覚めそうだ。
    そんなことを笑顔で話した。
    私も、お母さんの前ではあるが、Bさんと面白話に花を咲かせる。
    きっとお母さんも、いつものように笑って居てきくれたと思う。

    認知症とは、不思議な病だ。
    私の母もそうだったが、
    きっと自分が亡くなっているということの自覚は無いと思う。
    死ぬことへの恐れを感ずることなく、
    自分が死者になったことも気付かず、
    何だか「お母さん、最期まで、幸せだったね」と、その寝顔を見ると感ずる。

    ヨガスクールだった。
    自転車の籠に、ヨガマットを丸めたものを放り込んで走った。
    待ちに待ったこの日だった。

    自粛はあるだろう。しかし、限度もあるはず。
    今月は5つのコンサートが延期に中止だ。
    マタイ受難曲まで中止であるとの報せが入った。
    表現する人たちには、その場と機会とが奪われた。
    それって、とてもとても哀しいことではないだろうか。
    だから、ヨガマスターの英断には、拍手だ。

    細心の注意を払う。
    窓は全開だ。
    お互いの距離は、2m以上離れている。
    接触は無し。
    しかし、気持ちよく、心と身体とが解放された。
    朝、自主トレをやっている。毎朝だった。
    身体が目覚め、始動することの喜びを、このヨガからは感ずる。
    ヨガを楽しむ。ヨガを喜ぶ。ヨガにリラックスする。その心地よさだな。

    心地好さは、至る所にある。
    「小さな幸せ」とは、私にとっては心地よさなのかもしれないなあ。

    「あき乃」の小千谷蕎麦と山菜天ぷら。
    そして、濃厚な親父さん特性の蕎麦焼酎だ。
    その香りだけでも酔っぱらってしまいそうな逸品だった。
    いつもの窓際の席で、本町通りを通り過ぎる人たちを見ている。
    本当に何気なく、のほほんと、ジャズを聴きながら、
    ほろ酔い加減で人々を見ている。
    そのことが、とてもとても心地よい。

    ああ、みんな生きているなぁ。
    ああ、次男もあんな年には、手を引いて歩いていたな。
    ああ、夫婦で手を繋いでのお散歩だな。
    ああ、リュックからネギが一本。あのおじいさん、独り暮らしかな。
    と、次々に、生きるの物語が展開される。
    誰も通らない石畳の風情からも、
    ここには今はいなくても、ここをいつも通っている人たちの物語を感ずる。

    ここでは、蕎麦と天ぷらわ味わい、人生の行き来の物語を味わえる。
    いつも思う。
    歳をとることは、いいことだ。
    でも、孤独なんだろうなあと。
    それでも、みんなみんな日々を生きている。
    そして、やっぱり心地よさを求めながら、歩いているし、暮らしているんだ。

    さてさて、私は、TETTOに向かった。
    彼が来ているかなぁ。あの後、どうなったかなぁの淡い期待と共に。
    いつものカウンター。
    今朝のヨガのインスタグラムを見せてもらった。
    遠くで私が映って、喋っていた。
    世界中に発信された映像だった。

    私の憧れのダンサーのAさん。
    そして、酔っぱらいのカウンセラー、私が大好きなMさんだ。
    ここに居るだけで、心地よいのはどうしてだろうか。
    昨日は、覚えたてのイタリア語を聴いてもらった。
    合格には遠かったようだ。

    私は、独りでここに飲みに来る。
    そして、私の多愛の無い話を、Mさんは仕事をしながら聴いてくれる。
    話しかける。答えが返って来る。また、話しかける。
    私は、そんな会話の後、ぼんやりと通りを見ていた。
    カミ古の通行人は、若い人や小さな子どもを連れた若い夫婦だった。
    このお店のカウンターのお客さんもそうだった。
    おしゃれで、素敵な女性が多い。それも、このお店の魅力の1つだ。

    私は、ブルーチーズをかじかじしながら、ワインを飲んでいた。
    今は、この取り合わせが心地よい。
    Mさんから教えてもらった言葉。
    「小さな幸せは、至る所にある」が、私の生きるコンセプトとなった。

    私にとって心地よい場所は、確かに至る所にあるからだ。
    しかし、その幸せには、大きさはないような気がする。
    細やかな幸せ。あるがままの幸せ。蕎麦と天ぷらの幸せ。蕎麦焼酎の幸せ。
    そして、AさんとMさんと語れる幸せ。プルーチーズとワインの幸せ。
    この「ラ ピコラ」こそ、私にとっては、その時、その時の全てだった。
    やっぱり、どこでも「ラ グランテ」なのかも知れないなと、ふと思った。
    いつでも、「ボーノ」に「グラッチェ」だ。
    全てのことに「アモーレ」でもある。

    そうした心地よい酔っぱらいの生き方が、
    私のことを至る所で幸せを感じられる男としてくれた。

    もちろん、帰りは萬代橋を歩いて渡り、
    バスセンターのカレーのルーに、隣のお握り屋さんのシャケお握りを投入し、
    腹いっぱいになったこともご報告しよう。

    さてさて、恒例の土曜日午後から酔っぱらい。
    昨日も、風が少し強かったけれど、格好の酔っぱらいデーだった。

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