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  • from: クマドンさん

    2020年04月26日 06時28分39秒

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    独り独りの「連帯」を

    できることをやる
    できないことは続かない
    でも、私独りではなく
    十人が 百人が 千人が
    一万人が 十万人が 百万人が
    独り独りできることをやったら
    世の中は変わる
    必ず変わる

    今は、みんなが本当の幸せって何かを考える時なのではないか。
    自分にとってそれまで何も考えず、
    当たり前にあたりまえのまま過ごしていた日々は、
    それはそれで幸せだった。

    しかし、突然、こうして世の中が変わってしまったら、
    やっぱり、この状況下における生き方も、
    少しは変えて行かねばならないのではないだろうか。

    自粛である。
    妻は、私が外出することを嫌っている。
    私がまた何も考えずに行動して、感染者になることを恐れてだった。
    しかし、自分は美容院に車で出かける。
    それはそれでいいのだと、私も思う。

    昨日夕方、散歩をしたみなとトンネルの入口だった。
    張り紙がしてあった。
    「ウォーキング・ジョギングを自粛お願いします」という主旨だ。
    このトンネルは、走ったり、歩いたり、
    みんなそれぞれで思い思い自由に使うトンネルだった。
    さすがにスケートボード・犬の糞は禁止だったが、
    雨の日にはトレーニングの場所として重宝していた。

    しかし、こうした「自粛」と称するお達しが下る。
    だから、走っている人もまばらであった。

    飲食店への自粛要請が新潟市でも出た。
    つまり、お酒の提供は7時までで、8時には閉店するという。
    そうした掟を守ったお店には、協力金10万円が支給される。
    そうしたお達しが出ることで、お店はそのようにやらざるを得なくなる。
    開店していたり、ルールを破ったりすると、
    そのお店の名前を公表される。

    映画館が全て閉館状況だ。
    私は現在無色透明。
    仕事をしていないから、収入はあるわけはない。
    年金は今年の8月からの支給予定だ。
    つまり、私の懐からはお金が出るだけ、出るだけだ。

    実は、こんな立場に意識的に自分自身を置いたのは、
    心と身体との休養と同時に、
    仕事をしている時にできなかった好きなことに没頭しようと思ったからだ。
    ところが、その機会を今回のことで全て奪われてしまった。
    県境を越えることができない。つまり、JRの旅はもっての他だ。
    平日の映画館で、何本もはしごをしようと想ったら、その映画館の門が閉ざされた。
    それでは、市のトレーニング施設で身体を鍛えようとしたら、そこも閉鎖だ。
    久しぶりにスイムでもと思ったいたら、プールも閉鎖。

    コンサートは、3月のチケットは全てキャンセルに延期だった。
    折角獲得した「雪月花」も、コロナの為に走らないとの返金だった。
    それでは、居酒屋でお酒を飲んで・・・と思っていたが、
    友と会って、馬鹿話もできないご時世となった。
    独りで昼酒、夕酒の旅は続けているが、
    何だかそんな私も心のどこかで後ろ暗さを感じての飲みだった。

    さてさて、昨日、トンネルの張り紙を見て、
    今は、「戦時中」なのかと、ふと感じた。思った。
    何だかどんどん自由は失われ、不自由を余儀なくされている。
    コロナウイルスを収束させるために行われる必要な手段だ。
    ここで不要不急の外出をしたり、県境を越えて帰省したりすることは、
    コロナの感染リスクを高めるものだから、自粛して慎んでもらいたい。

    そのおかけで、川崎の次男は連休には帰省できない。
    近所の子どもたちが平日、道路で遊んでいるのは、
    学校が休校になり、学校へ行けなくなってしまったからだ。
    これもまた、戦時下の話のようだ。

    音楽家たちは、どうやって生活しているのだろう。
    演劇の人たちは、舞台公演のキャンセルによって、収入の道を断たれている。
    何カ月もかけて準備して来たそのコンサートや公演が消えてしまった。
    映画もそうだ。映画館が閉ざされると言うことは、上映されない映画となった。
    芸術は、戦時下では、真っ先に批判の対象となり、切り捨てられる。

    このコロナウイルスによってもたらされた現実のこの世の中は、
    「戦時中」「戦時下」と認識すると、「ああ、そうなんだ」と分かる気がする。
    または、危険な「戦争前夜」でもあるのかも知れない。
    経済的な破たん・失業・不況から、世界的な恐慌が起きる。
    チャプリンの映画は、こんな状況下での恐ろしい兆候に付いて予言している。
    「殺人狂時代」は、ヒトラーやムソリーニが力を得る前夜の物語だ。
    「独裁者」は、平和な内に何がうごめき、形作られて来たかを語った。

    マスクで利権を得る政治家や企業が現われる。
    国民の困窮した生活をよそに、自分の私服をちゃかりと肥やそうする。
    平温で、それなりに繁栄している時代は、誰がリーダーでもなんとかやれる。
    しかし、いったん、こうした危機的な状況に置かれると、
    そのリーダーの愚かさが露見する。
    ああ、無能な人だったんだ。裸の王様だったんだ。

    周りの家来たちは、ここぞとばかりに火事場泥棒のようなことを平気で行う。
    「身を捨ててこそ」と、自分を捨てて、
    国民の為に働く政治家を1人でも見たいものだ。
    こんなに政治とは、何の役にも立たず、あてにできないものだったのかの嘆き。

    でも、今、私が体験していることは、歴史のある時期にあった事実と同じこと。
    こんな生活・状況がこれから1年・2年続いたら、この国はどうなるのか。
    この国民の生活はどのように変化するのか。
    その変化の中に強制的に置かれた国民独り独りの精神はどのようになるのか。
    そのシュミレーションは、既に何度も何度も歴史が行って証明済みだ。

    だから、今、カミュの「ペスト」で描かれた、「連帯」こそ、
    独り独りが自分ができることを、
    困っている隣人のためにする時ではないかの「問い」だった。
    独りがどんなに無理をしてもその「連帯」は決して続かない。
    国家ではなく、企業ではなく、個人として、個人の自由として生きるためには、
    そろそろ私たちは、国ではなく、企業ではなく、お金ではなく、貯蓄ではなく、
    何だか独り立ちしてお互いを支え合って生きることが、
    求められているような気がする。

    これからどんな動きが国民の中で生まれるか分からない。
    みんなが粛々とこの定めにしたがっているわけではないからだ。
    今、不満やストレスを蓄積し、増殖している人たちも中には居るはずだ。
    実際に、弱い人たちへの暴力・差別も起きている。
    さてさて、実は、やっぱりこれは、「心」「精神」「魂」の問題なんだ。
    「心のペスト」に敏感であらねばならない。

    私たちは、独り独り、どのようにしたら「連帯」していけるのか。
    そのことを、考え続けている、今、だった。

    庭の花たちは、こんな世の中の状況にかかわらず、無心に咲いている。
    きっとこの花たちは、生き残る花たちなんだろうなぁ。

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