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  • from: クマドンさん

    2020年04月29日 06時38分17秒

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    試練によって回心が生まれる

    三日前から、どういう訳か、左臀部から太腿にかけて痺れが在る。
    たち上がって、足の着き方によっては、激痛が走る。
    これは、かってやった椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛か・・・。
    またまたあの激痛の日々の苦しみ・辛さだけは勘弁願いたい。

    原因を探ってみたら、このパソコンだった。
    「親父たちよ」にかかる時間が多くなった。
    この回転椅子の座り心地の悪さと、
    同じ姿勢を長時間続けているので、
    こうした神経の歪みがでたのではないかと、素人は診断をした。

    それから、毎朝、1時間近く、腹這いになりながら、読書をしている。
    「エックハルト説教集」だ。
    10年以上前に数ページ読んでギブアップした文庫本だった。
    13世紀のドイツの神学者の教会での説教集だ。
    その本がどういう訳か、今の沁みる。
    書かれてある真理に驚き、本気ではまった。
    すると、やっぱり同じ姿勢でいるために、腰には大きな負担となっていた。

    四日前は、何でもない身体だった。
    それが、いろいろなことが原因として重なり、
    こうした異常をきたすようになった。

    昨日の夕方、シンさんのお店に行った。
    「レバ刺し」を食べるためだった。
    本当は昨日か山の下祭りの宵宮で、今日が祭りの本番だった。
    しかし、太鼓や笛の音は何も響かず、
    中地区の駐車場には、各町内の木遣り太鼓の一団の姿はなかった。

    カウンターでは、久しぶりのIさんがご機嫌に飲んでいた。
    私も「サムライロック」を頼んで、一口飲んだ途端だった。
    「うっ」と鳩尾に痛みが走った。
    「何だ、こけは・・・」身体の中で悪さが始まった。
    あの例の胆石の痛みだった。
    「おいおい、ここでですか・・・」これからレバ刺しで一杯と思っていたのに・・・。
    それでも我慢して、痛みを堪えて、一杯飲んで、レバ刺しを平らげた。
    それで一巻の終わり。

    自宅に帰ってから、布団の上で四つん這いになったまま、呻いていた。
    「殺してくれーーー」だったな。
    救急車で病院に運ばれては、みなさんのご迷惑になるだろう。
    だから、このまま、ここで、お陀仏になることにした。
    私は、身体を九の字にしたまま、布団の中で唸った。唸った。
    その内に、眠ってしまったらしい。
    いつの間にかその痛みが和らぎ、消えていた。
    あれは、一体何だったのかだ。

    西部劇「エルドラド」を観た。
    腰に弾を受けたままの中年ガンマンのジョウ・ウェインだ。
    その弾のおかげで右手が痺れ、銃を持てなくなってしまう。
    その上、右足を撃たれ、松葉杖をついて、悪者の退治に向かう。
    相手は、彼と勝負をしたいと願っている凄腕ガンマンだった。
    相手はウエインが身体が不自由なことを知って、相手にもしなかった。
    そこに油断があった。
    ウエインは銃ではなくライフルで、右手ではなく左手で、相手を撃った。
    男は、どんなに傷ついて、不利であっても、正義のためには闘うものだ。

    私の身体も同じだった。
    腰は、無理の出来ない軟な腰となっている。
    だから、ヨガで腹筋と背筋とを鍛えている。
    胆嚢は既に私の身体にはない。
    そのおかげで、胆管へ小腸から細菌が逆流することもある。
    十時間の大手術のおかげで命拾いした私だ。
    内臓にはそうした障害を抱えて生きている。

    高血圧に高脂血症だ。
    尿酸の薬を入れて3錠を毎朝欠かさず飲んでいる。
    つまり、私は、それなりに身体が弱り、それなりに痛みを抱え、
    時々、古傷による激痛に見舞われながら、それでもやっぱり生かされている。

    今朝のラジオでは、旧王宮植物園でボタニカルアートとして植物画を描いている、
    山中ますみさんのお話しだった。
    彼女が英国の伝統的な植物園で植物画を描くようになったきっかけは、癌だった。
    食器デザイナーとしてステイタスな活躍をしていた彼女は、
    44歳で乳がんが発見された。直ぐに手術をして、放射線療法を続けた。
    その時、リハビリをかねて書きだしたのは、お見舞いで届けられた花たちだった。

    植物にはそんなにも興味が無かった生活をしていた彼女が、
    「どうして人は、病の人に花を贈るのか」疑問に思った。
    「そう言えば、アロエは火傷に効いた。今でも薬として使われている」
    「私たちが吸っている空気も、植物のおかげで地球には存在している」
    そんな時、独り身の彼女は、「植物」と共に、自分の命に付いても考えた。
    そして、2年後癌が転移して、子宮と卵巣を全摘した。
    そして、彼女は、決意した。
    「この残された人生を地球のためになることに使いたい」と。
    そこで、この植物園の図書館にボランティアとして働きながら、
    植物画を描く勉強を始めたそうだ。

    「植物を描くことは、地球との対話」と、語っていた。

    さてさて、傷を負っても生きる。癌で臓器を失っても生きる。
    その時ではないかなぁ。
    人は、自分と初めて向き合って生きるのは。
    この命を、何の為に使うべきかの「問い」が生まれるのは。

    ウェインは、一度、この街を去って、放浪の旅に出る。
    しかし、親友の保安官と義理のある牧場主がピンチであることを知り、
    彼は、満足に銃を持てない身体でも、この街に帰って来るのだ。
    「この命、何に使うか」だな。

    山中さんは、自分には家族が無く、独り身であることをひしひしと感じた。
    それでは、子どもの居ない私が、この世に遺せるものは何なのか。
    そこで、ボタニカルアートと出会い、個展を開くまでに成熟した。
    食器デザイナーの成功を捨て、大きな家を売り払い、不退転な決意で臨んだ。

    何だかねぇ。
    人は、どうして病気や怪我で、生き方を変えることがあるのだろうか。
    それは、生き死にの境を超えることで、
    大きな病で身体に障害をもつことで、
    それまで出会えなかった生きるためにはとてもとても大切なものと、
    その時、人生で初めて向き合うからではないだろうか。

    それは、「自分」と「命」と、「何のために生きているか」の「問い」だと思う。
    試練とは、そういう「意味」でとらえると、
    それは、私の人生に与えられた神からの奇跡であると感謝している。
    確かに、それを境に、人はその人の生き方を変える。
    試練によって、確かに「回心」は生まれるようだ。

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